僧院ツアー⑤~19世ロチェン・リンポチェ~
僧院の厨房から出てきた女性が日本語を話したので、筆者はびっくりした。
古い僧院らしく、薪で火を焚いて煮炊きをするので厨房は煤が多い。
彼女も全くの仕事着で、しかも手伝いとして働いているらしい。
日本人離れした、日本人女性である。
名をMちゃんという。
何処からその話になったかは思い出せないが、彼女は共通の友人から、スピティ地方を旅している日本人(我々)について聞いていた。
そしてたまたま、拙ブログを読んでくれていた。
普段インドにいて、文字を書いてネット上に載せているだけの人間には、読んでくれる人がいても、なかなか実感が湧かないものである。
そんな中、実際に読んでくれている、しかも褒めてくれる人に逢って、筆者はまるで木に登るブタのような気持になった。
何か嬉しい。
彼女は、友人と筆者を厨房に迎え入れてくれた。
聞いていると、彼女はヒンドゥ―語でお坊さんやスタッフの人々と話している。
厨房も、長い間沢山のお坊さんの食事を作り続けていることが一目でわかる。
レンガを積んで作られた大きな竈が入り口から見て左側に並び、大きな鍋や蒸し器が置かれている。
僧院の厨房では、湯も茶も鍋で作られ、給仕する時に初めてヤカンやポットに入れて配られる。
それらの大きな鍋も、側面を煤で真っ黒にしながら竈の上にある。
竈自体も、竈の後ろの壁や天井も、もちろん真っ黒である。
焼けた薪の灰をかき出す正面の穴だけ、白っぽい灰がこぼれている。
手前、部屋の中央に控え目なストーブが1つあり、外壁に沿う形で長椅子が置かれていた。
先程お茶ができあがりポットに入っているということで、法要のお下がりのマリービスケットとともに甘いお茶を御馳走になった。
彼女はしばらく前からキー僧院を訪れているが、明日からロチェン・リンポチェの法話会があるというので、予定を変更して滞在を伸ばしているという。
性格が働き者なのだろう。厨房を手伝っている。
後で知ったことだが、彼女は以前、リシケシュというヨガの聖地で、10年間日本食レストランを経営していたそうだ。
身体を動かすことが身に付いている女性だった。
厨房には、運転手のお坊さんもお茶を飲みに来た。
友人同士であるのだろう。キー僧院シニアお坊さんと、壁の椅子に座って話をしている。明日からの法話会について話していたのだろうか。
お茶を飲んでゆっくりしていると、長身の西洋人男性がやってきた。
そういえば、上階の本堂手前の土の精の台所でお見かけした人である。
アメリカ人のMさんという。
彼も彼女と一緒に、ロチェン・リンポチェの法話会を待ちながらキー僧院に滞在していた。
本堂のお坊さんの話によると、ロチェン・リンポチェの法話会は毎年催されている。
『ラムリム(菩提道次第)』という、一個人が仏陀の教えをどのように取り入れて修行を進めて行けば良いかを、段階をおって示してくれるテキストが、毎年の法話会のテキストである。
今年は5日間。
その後で、もしかしたら他の法話があるかもしれないと言っていた。
このラムリム法話会には、土地の人々が詰めかける。
スピティ語で流れるスピーカーからの教えとともに、スピティ語を理解しない外国人のために、英語の通訳がつくという。
彼らは、英語から法の恵みを受け取るために、寒くなりかけたキーに滞在しているのであった。
ここで、MちゃんはMさんと英語で話しており、彼女は英語も堪能であるということが判明した。
煤で手を黒くしながら働く、知性を備えた働き者の日本人女性・・・
すごくないですか?
MちゃんとMさんは、友人ともすぐに仲良しになった。
話が一段落した時、Mさんが言った。
「ロチェン・リンポチェがさっき到着した。」
明日からの法話会の師、ロチェン・リンポチェが現場入りされて、Mさんはもうお目にかかったそうである。
「お会いしたかったら、連れて行ってあげるよ。」
優しいMさんのお誘いの言葉であった。
正直にいえば、普段筆者は偉い人にあまり会いに行かない。
暢気にのんびり生きるのが好きなタイプだからである。
しかし、今回は友人が謁見に興味を示していた。
なので、流されるように謁見に参加することになった。
仕事があるからどうしようかと考えたMちゃんも、このような機会はなかなか無いからということで、厨房の直ボスに許可を得て、参加することになった。
外国人全てが、Mさんに連れられて、僧院内のリンポチェ宅にお邪魔することになる。
古い僧院の建物を出て、やや新しい建物を貫く通路を抜けて、広場のように開けた正門前のスペースの横に、リンポチェのお住まいがあった。
応接間のような広い部屋に通されて待っていると、しばらくして外回りを済ませたリンポチェが帰ってこられた。
待っている間、座っていた椅子の後ろの壁に掛けられていた色鮮やかで細かく描かれた絵について、Mさんは説明してくれた。
こちらは、歴代のロチェン・リンポチェの伝記を表す絵である。
1世から5世までは、インドの修行者の姿で描かれている。
ということは、5世までのリンポチェは、インド人だったのではないか。
この話をタボ僧院の僧院長先生にポロッと話したところ、チベット人気質が半端ない僧院長先生が、ロツァワ・リンチェンサンポについての言い伝えを話してくれた。
~だから、ロツァワ・リンチェンサンポはチベット人である。
という結論を導き出すためである。
それが以前記した、彼のストーリーだ。
しばらくして現れた現代のロチェン・リンポチェは、目鼻立ちのはっきりした、インド人だと言われれば『そうなのだろうか』と思われる容貌をしていた。
髪を後ろに束ね、赤い上着をまとった、在家の修行者姿である。
英語も堪能で、何より気さくによくお話をなさる。
外国人の生徒さんも多かろうと思われた。
英語の苦手な筆者は、離れた椅子で会話を振られないように気を付けながら、その場の話を聴いていた。
お話を聴いていると、彼はダラムサラの仏教論理大学の一期生であるらしい。
筆者達が習った先生と同級生だということで、少し嬉しくなった。
明日からの法話に向けて、詰まったスケジュールの中でお疲れにならないかと、Mちゃんや友人がきいていた。
「大丈夫」とおっしゃって、ブラックコーヒーを嗜むリンポチェ。
忙しくても忙しさを表に出さず、悠然と気さくに構えている。
大らかでカッコいい!
と人気の方であった。
これも後でMちゃんから聞いた話によると、5日間の法話会が終わった後でリンポチェは体調を崩されたらしく、その後の法話会はお流れになった。
病院へ向かうリンポチェを目にしたMちゃんが、
運転席に座って自分で運転して病院へ向かう彼へ「大丈夫ですか?」と訊くと、
「友達が一緒だから大丈夫!」と後部座席のお付の人を示しながら元気に?ドライブしていったそうである。
それがまたカッコよくて、更にファンになったそうだ。
半時間ほどお話していただろうか。
謁見を申し込んでいた、チベット人のノルウェーラジオ局の人々が取材に来たので、その場を退席した。
それにしても、こんな田舎に、いろんな場所からいろんな人が来るものである。
運転手のお坊さんはさっきから外で待っている。
早く帰らなければならないので、法話会へのお布施はMちゃんにお願いした。
彼女はオフィスにお布施をしてくれた。お布施第一号だったので、カタと縁結びの赤い布まで頂いて、後でダラムサラに来た時に、筆者にレシートと一緒に渡してくれた。
お世話になりました。
どうもありがとうございました。
最後、門から少し離れた駐車場へ向かう時に、Mちゃんと別れた。
夜のトゥクパ(汁ソバorスイトンor汁ワンタン)に入れる、小柄な彼女の両手いっぱいのコリアンダーの大きな束を、今でも覚えている。
つづく。
DECHEN
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