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小さな頼まれごと

今日も、四日ごとの牛乳購入の散歩に出た。

行きは表通りを通って行くので、お寺の山を周回しに来る人や、周回し終わった人を見る。

今朝は少し遅くなったので、寺の門の前でパンを売る友人はもう帰宅しており、チャイ屋で周回後の一服をするチベット人の善男善女が多かった。

牛乳屋へ行く途中、何人かを追い抜いたが、その中にレストランのオーナーをしている知り合いの女性と、お年寄りの尼さんがいた。
尼さんは、本来は身体がしっかりした方なのだろうけれど、高齢で前かがみになり、ゆっくり歩いている。

ちょっとした挨拶をかわし、抜き際で彼らの会話が聞こえた。

「ほら、お店開いてるよ。」

見ると、米、小麦粉、豆その他乾物など、食料品の量り売りをする店がすぐ先にあった。
尼さんは何か買い物の為に、マーケットまでやって来たらしい。

ゴミを捨て、牛乳を買い、前回借りていた四ルピーを返し、
その場にいたある先生と立ち話をして、帰路についた。

マーケットの中にある小さなお寺の巡回通路を歩いていると、後から大きな声が聞こえる。

前にチベット人女性が二人おり、チベット語で話してるから彼らの話だと思っていたら、
どうも筆者を呼んでいるらしい。
何だろうと思って振り返ると、先程追い抜いたレストランオーナーの女性と、お年寄りの尼さんが一緒にレストランの方から歩いてくる。

「お寺に行くんでしょ?」「お寺に行くんでしょ?」
何度も聞いてくる。
オーナーの彼女は、筆者が寺の近くに住んでいるのを知っているので、何を言うのだろうと思って待っていると、

「尼さんが油を買ったでしょ。すごく重いから、お寺まで持って行って。」
という。

腰の曲がっている尼さんのセン(袈裟の布)をはぐって、その下のリュックの持ち手を外して(身振りから『いいから。いいから。』と尼さんに言ってるのが分かる)、
尼さんが背中にしょっていたリュックを取って筆者に手渡した。

「お寺のお店に置いておいて。チベット人のおじさんがいる店。傘も預けてあるから。」

話の様子では、周回が終わってマーケットに油を買いに来なければならなかった尼さんは、荷物になるので傘をその店に預け、身軽な状態で油を買いに来たらしいが、

それにしても受け取ったリュックはずっしりと重い。
触ってみると大一つ、中一つの油が入ったプラスチック容器が二つある。
五キロ以上あったと思う。

『これは、お婆さん持てないな。
それにしても、何でこんなに油が必要なんだろう?』
と思いながら、
「分かったー。じゃあお寺のお店に置いときますねー。」
と言って受け取り、お寺の近くの店まで運んだ。

筆者にとってもやや重かったので、
お年寄りの尼さんにとっては、(リュックで背中にしょっていたとしても)お寺までの距離と更に家までの距離を考えると、かなり大変だっただろう。

それにしても、繰り返すが、何であんなに大量の油が必要だったのか?
未だ謎である。

運びながら考えた。

或る重さの物質を、或る場所から或る場所へ動かすということは、一定のエネルギーが動くということである。
物質が移動するエネルギーの量は、どんな方法を使っても変わらない。

Aさんが運んでも、Bさんが運んでも同じで、
ならば誰が運んでも同じなのである。

今回は、尼さんから筆者へ、このエネルギーの負荷を移動したわけだ。

どんな仕事をするにしても、一定量のエネルギーが動く。
それが自分にとって容易にできることであれば、
その仕事を成し遂げるエネルギーを自分が出すことは、
それほど負担にはならない。

だったら、できる分だけ身体を動かすことも、それほど大変なことではない。

運べないタンスを運べといわれたら、きっと嫌な気持ちになるだろうけれど、
楽に運べる何かを運ぶなら、気持ちよくできる。

小さな頼まれごとを引き受けるのも、
結構気持ち良いものだと思った今朝だった。

でも、無理なことは、ちゃんと無理だと言わなきゃいけませんよ!


DECHEN
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