すでにドラマ
25日、エア・インディアでデリーに着いた。
今(本ブログ書き始め時間)は、
チベタン・キャンプのあるマジュヌカティラ、
某旅行エージェントの小さなオフィスで
ダラムサラ行き夜行バスを待っている。
25日朝、実家の燃えるゴミのゴミ出しをして
「行ってくるね。ママも頑張ってね。」
と母にハグをして、
弟に母のことをお願いし、
家を出たのが日本時間8:50 AM。
荷物を持って最寄りのバス停まで歩き、
9:00 AMのバスに乗り、
最寄り駅から成田空港行きの電車に乗ったのが
9:11 AM。
そうして恙なく成田空港まで着いた。
フライトは13:50 PM。
到着予定時刻はインド時間19:20 PM。
荷物を持って1人で移動するには
微妙な時間である。
荷物は預けで13 ㎏と9 ㎏。
手持ちで5〜6 ㎏あったので、
総量28 ㎏くらいか。
無事にデリーに着いたが、
途中フェイントがあった。
インド時間17:00 PM 過ぎに、機長アナウンスで
「もうすぐデリーに着きます」
というのだ。
もともと心配していたので、
やったラッキー!
(機内で)ありがとうを3万回唱えたご利益かとウキウキしていたのだが、
それからも飛行機は飛び続け、
結局着陸は19:11 PMだった。
そんなに変わらない。
甘かったよね
と思いながら長い空港の通路を歩き
イミグレで待ち
受け取りレーンで待っていたら、実はもう別の場所へ取りおかれていた荷物を回収し
結局空港を出たのは21:00 PM前だった。
これを持って地下鉄に乗る。
空港からニューデリー、
ニューデリーで乗り換えてヴィダンサバへ。
長くはないけど、
荷物持って切符買って歩いて乗り換えして
ヴィダンサバ駅からマジュヌカティラまで
リキシャ(「人力車」の「人」が自転車や電動自転車になってる「自転車力車」「電動自転車力車」)かオート(箱型三輪自動車)の運ちゃんと値段の交渉して。。。
飛行機の中でいろいろ考えていたことを実行する時がきた。
荷物が多いから大変だろう
と思っていたのだが、
沢山の荷物を背負って転がして
1人で歩いていたことが幸いして
切符売り場でも
地下鉄の中でも
あまり待たずにゲットできた。
東洋人の女性がこんなに沢山の荷物を1人で運んでいるところは
なかなか見られないのだろう。
インドのお母ちゃんならまずしない。
バックパックを背負った状態で
「おっしゃ」といって
大きなバッグをズシッと肩にかけると
インド人男性でも
「おっ」
という表情をする。
更に小さなスーツケースをコロコロ転がしていると、
結構場所を空けてくれたりする。
さて、いよいよヴィダンサバ駅に着いた。
1回目ではバーコード改札を失敗し、
2回目にはズルズルと荷物を引きずりながら無事改札を抜け、
気合いを入れて荷物を持ち直し、
長いエスカレーターを上って地上にでた。
そこでリキシャとの交渉が始まる。
若いリキシャドライバー君が勢いよく適正値段(夜9時半で40ルピー)で来たので即決し、
マジュヌカティラまで頼んだ。
普段リキシャは、マジュヌカティラの対岸(大通りを挟んだ反対側)にとまる。
そして暗い歩道橋を渡って物乞いの人々を見ながら反対側へ行き、細い歩道を抜けてゲストハウスに行かなければならない。
ちょっとしんどい。
頑張って運転しているお兄ちゃんを見て、
ここならお金を払って良いと思い
「対岸まで100ルピーでどう?」
というと快諾してくれた。
ここからドラマが始まる。
最初はホコリっぽいが風を切って気持ちよく走っていた。
荷物を支えながらフと後ろを見ると
子どもが乗っている。
時々走っているリキシャの後ろからタダ乗りする子どもがいることは知っていたので、
荷物だけ気をつけてそのままにしておいた。
自転車リキシャだったら走るのが大変になるかもしれないが、電動自転車リキシャだったせいもある。
大通りの対岸へ渡るには
非常(非情)なトラフィック状態(渋滞)を潜り抜けていかなければならない。
デリーの渋滞を例えると、
ジャリ道の小石を手のひらで集めたみたい。
バストラック乗用車バイクリキシャ自転車と
ランダム & 車間距離のない状態で
ぶつからないギリギリの所をブレーキを掛けながら進む。
Blow hone
と車に書いてあるので
色んな音でうるさくて当たり前。
そんな混雑を1つ抜けたところで
2人乗りのバイクがリキシャにぶつかりそうになった。
おいおいやめてくれ。
まあでも、ぶつからんで良かった。
と安心したところで、
リキシャの兄ちゃんが追い越そうとしたバイクの2人に大声で文句を言った。
いいから早く行ってくれ。
と思って兄ちゃんの背中を叩いたが
兄ちゃんはきかない。
兄ちゃんの怒りが飛び火して
後ろの子どもが何か言ったらしい。
バイクが止まって向こうの大人が降りてきた。
子どもも降りて大人に殴り掛かろうとする。
ここで改めてその子の顔をみたが、
表情が生活に苦労した人の顔で
子ども子どもしていなかった。
大人は子どもに怒って殴り合いの喧嘩になりそうになり
リキシャの兄ちゃんもサドルから降りて応戦しようとする。
客の心情は
ちょっと待ってくれ。
ここで喧嘩に巻き込まれては
宿に着くのが更に遅くなる。
もう9時半過ぎて夕食にありつけるかどうかも分からない。
というわけで客が「まあまあ」と止めに入ることになる。
もういいから、いいから。
と外国人女性が座席からなだめているのを見たせいか、
男性4人のうち1番我を保っていたバイクのドライバーがリキシャの兄ちゃんをなだめ
「もう行け」という様子で促し、
兄ちゃんは運転席に戻った。
最後までアングリーだったのは
後ろの子ども。
侮辱されたと思ったのか
火がついたように怒っていた。
ここで何となく
リキシャの兄ちゃんとこの子は兄弟なんだと想像がついた。
生きることは大変だけど
一緒に電動リキシャに乗っている。
2人で助け合って生きているのだろう。
子どもは後ろを向いたままリキシャに乗っている。
腹が立っているのもよく分かる。
前からだったが後ろに手を伸ばし
子どもの背中から身体を包んで肩を抱いた。
小さくてあったかくて
小鳥のようだった。
このあったかさはよく知っている。
実家では母の隣に寝ているのだが
夜中に母が、布団からはみ出ている筆者の手によく触る。
握り返すと喜ぶので余力がある時は握り返して一緒に遊ぶ。
疲れている時には母に遊ばせておく。
子どもに帰った母が愛情の表現として見せてくれる、手の感触とあったかさに似ていた。
少しの間お互い顔も見ずに子どもを後ろからハグしていたが、
いつまでも身体を捻ってもおれないし、
背中を1度ポンと叩いて手を離した。
お互い硬派なのだ。
渋滞を抜け、遠回りしてマジュヌ・カティラに着いた。
100ルピー札を渡したらすぐに別の客が来た。
「おっしゃ」と荷物を背負って歩き出す時には、
後ろの子どもも兄ちゃんと一緒に商談に参加していた。
皆一生懸命生きているのだ。
そのまま無事ゲストハウスに到着し、
チェックインを済ませて食事にでた。
10時閉店で最後から2番目の客となったが、
美味しい汁そばを頂くことができた。
それにしても
1日目から濃かった。
さて、
2日目は部屋でゆっくりさせてもらった。
昼過ぎに同じレストランで食事をしたが、
道を眺めていると
寝衣着て歩いてる人もいるし
暑いのにブーツの人もいるし
多種多様とはこのこと。
今日の夜行バスは8時に出発という話だったが、
エージェントで8時半に来るといわれ、
更に9時半といわれた。
当たり前だと思えば当たり前のインド。
久しぶりのインド2日目日本人にとっては
結構ドラマ。
追記: 結局、夜行バスは9時過ぎに来た。
翌朝、無事にダラムサラに到着。
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