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未来ってなに。

 50歳を越えた。未来と云うのは一体どの地点を指して云うのだろう、と単純に思ってしまう。わたしの20代の頃は風力発電の未来、エイズ、がんの薬の発明などと云うと、なに真面目なこと云って、だからお前はつまんないんだよ、ぐらいのことは云われたものだった。今だから云えるが当時、SDGsの目標を云ったら真面目腐った性格で使えない奴、と思われるような風潮、同調圧力があり、まさか世界規模でSDGsを目標とするような時代が来るとは正直思わなかった。わたしは既に未来に来てしまった。だから現代問題を考えるとき、50代のわたしは考えが古いのではないかと思う焦燥感がある。

 改めて、「未来」について考えてみたい。旺文社国語辞典には「①これから先にくるとき。将来。②(仏)死後の世。来世。③(文法)これから起こる事柄を表す言い方。(↔過去・現在)」とある。そうか、わたしのような年代になってくると、未来と云うと死後の世や来世のことを考えるようになってくるのかと、意外な発見があった。どうやらまだまだ、未来について語ることができそうだ。

 50代になり少し上の世代(バブル世代)を見ると、まだまだ人生謳歌してゆくぞと云う精力派が多く、一方でスローライフを楽しむ派もいる。わたしはこの8月に母の新盆を迎え、家族も兄弟だけになった。もう、未来などわずかにも考えられない気分だった。死後、天国へ行けるように今からでも善を積んでおこうかなどと思うことがある、と云えばよほどのよぼよぼ感が溢れてくるが、実際、20年先の未来、50年先の未来よりも1分先の未来の方が現実感のあるのも本当だ。

 新盆の間、確かに母は帰って来た。誰もいない部屋の電気が突然灯ったりして、不思議なことがあった。昔の人の云うことには、科学では証明できない本当のこともあると、思う。わたしたちは邯鄲の夢を生きているに過ぎないのか、ならば一体誰の見ている夢を生きているのだろうか? お仏壇にお水をお供えしたら、不思議な事象は鎮まった。お水をお供えすることで、母のいる世界にお水が届いたのだろう。

 あえて年代を明かして書いてみたのは、「未来」は若い人のものと云うだけではない、と思いたかったからだ。「未来」は嫌でもやって来て、気がついたら未来にいる。わたしはまだ未来に備え、今なら自分を信じて笑われてもいい、以前は出来なかったが善を見つけながら密かに生きてみたい。

(997文字)



#未来のためにできること

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ユキ丸
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