岡本太郎と若林正恭
僕は、岡本太郎と誕生日が一緒。2月26日生まれ。 子供のころなんとなく自分と誕生日が同じ有名人を調べたこと、みんなあると思うんだけど 僕もなんとなく調べてなんとなく岡本太郎の名前を知っていて、なんとなく天才だってイメージを持っていた。あとはミキティーと篠崎愛。当時バリバリグラビアに出ていた篠崎愛の名前を、自分と同じ誕生日の芸能人の一覧で見ることは感慨深いものがあった。(すごいんだよ、篠崎。今もキレイだしね。)
そんな岡本太郎の作品に初めて出会ったのは大人になってから。美術の授業が退屈に感じていた学生時代とは打って変わって、二十歳を超えたあたりから美術に興味を持ち始めた。というか、興味を持っていたほうが、教養として知っておいたほうがいいんじゃないかと思っていた。半ば義務感のようなものもあった。ただその頃は仕事がバタバタしていたりなかなか時間が取れず、自分のファースト美術を後回しにしていた。
ある日、仕事を辞めた。実家に帰った。一心不乱、盲目に駆け抜けた20代前半の数年間、駆け抜けすぎたのでいったんおやすみした。久々に自然に触れて、思春期に好きだった読書とラジオを再開した。その時に原田マハさん著の「モネのあしあと」と出会って、それが僕が美術にどっぷりハマるきっかけになった。「モネのあしあと」の表紙はモネの”舟遊び”という作品なんだけど、実際に生で見られたときには涙が出そうで10分くらいその場から動けず、監視員さんに変な目で見られていた気がする。国立西洋美術が所蔵しているので割といつでも見られるのを知ったときは若干拍子抜けしちゃったけど、それを知って以来は何度か見に行った。
そうやって何度か美術館を巡ってるうちに岡本太郎作品と出会うわけだけど、なーんにもわからん。激しい色使いと謎の生き物たち。近現代の美術はそこに至るまでの文脈を理解しておかなきゃいけないなって再確認した。まぁ”わかろうと”することが的外れなのかもしれないけど、わかったほうが何倍も面白いし身になるとも思った。ただ、なかなか勉強をし始める重い腰が上がらない。
そんな時、ドラマ「だが情熱はある」が始まった。子供のころ聴いていたラジオは昼の地元のFMばかりだったけど、僕はもう大人である。タバコは吸わないが酒は飲む。逆チェ・ゲバラだ。元々バナナマンが好きだったので、バナナムーンから色々なほかの番組も聴くようになり、オードリーのANNも聴いていたし不毛な議論も聴いていたので「だが情」を見ない選択肢はなかった。観進めていって若様が岡本太郎の本を読んでいたことを知ったので、自分の中で勝手に点と点がつながった気がした。ので、すぐに「壁を破る言葉」を買った。ちょうど自分の周りをたっかーい壁で囲まれてる気がしていたところだったし。
壁が破られたかどうかはイマイチだけどひとつ自分の中の柱になりそうではあるし、なにより作品の理解度や解像度が上がりそうではある。
とりあえずこの本を自分のバイブルにして、若かりし若様のように岡本太郎を崇めることで生活に一本芯を追加しておこうと思う。
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