オリンピック辞退のニュースから思うこと。

こんばんは。湯川士です。本日は巷で話題の『池江璃花子さんへのオリンピック辞退』を求めるツイートとそれに対する民衆の反応を見て思うことを綴っていきたいと思う。

まず、上記ツイートについて。結論から言えば、所詮ただの一アスリートごときが政策を転換させるだけの力があるとは言いにくいだろう。というのは半分正解であり半分間違いだと思っている。政府は実際、バッハ会長の来日が厳しいとか言ってはいるものの、開催しないとは一言も言っていないわけで、それどころか政府の方はオリンピック開催に向けて看護師500人派遣要請をしたり、参加選手には無料で優先的にワクチン受けさせたり、といった準備を進めている。まぁ、こういう準備ってのは一般国民からすれば不平等としか言いようがないよね。普通に考えても「なんで俺達には接種させてくれないんだ」と思うのは当然のことで。でも今の政府は世論なんざ微塵も聞く耳持ちやしないから、政府に言ったところで無駄なわけ。んじゃどうすればオリンピック開催を阻止できるかって言ったら、参加選手に辞退させるしかないんだよね。しかも国外の選手に働きかけるのではなく、国内の選手に働きかけるのが一番効果的。国外選手が辞退したところで焼け石に水。「だからなんだよ」と政府は無視して終わりだ無意味以外の何物でもない。だが国内の選手が辞退したとなれば、他の国内の選手も辞退に踏み切り、そうすれば中止もやむなしという状況になり得ると考えた。そして一番世間で現在スポーツ界で影響力ある池江璃花子に白羽の矢を立てたわけだ。だから上記ツイートしたのは一応合理性があるといえる。

だが、池江璃花子とてアスリート。上記働きかけは無意味なことくらい少し考えればサルでもわかることだった。

アスリートが最も求めていることは大会で結果を出すこと。プロは結果を出してなんぼの世界。大会は自身の存在価値を証明するための舞台でしかない。これは俺個人の見解だが、アスリートの吐く常套句である「感動を届けたい』だの『勇気を届けたい』だの言ってるけどあれは半分真実かもしれないが半分噓であると思っている。所詮はそう思う自分がいるからスポーツをやる、というだけの話でしかない。何らかの事実を評価する主体がいて初めて感動したり勇気が生まれるだけの話であって、自分のやってることが他人に対して何らかの影響を及ぼすことができるとか思うこと自体傲慢だし、勘違いにも程がある。或いは極端なまでの無知純粋な存在かのどちらかだ。そもそも感動だの勇気だのを与えるにあたってスポーツでしかそれを実現できないだなんて誰が証明した?他にも方法なんざいくらでもあるだろ。アスリートやってんのは自分がやりたいからでしかない。ただの利害関係の一致でしかない。感動を届けたいと本心で思う選手と(ホントは自分が好きでやってるけど、こと荒立てないために常套句使っとくか、とか思ってる人いないとは限らないから。ホントに強い人は、自身の存在の小ささ・無力さ・無能さを何度も目の当たりにして絶望しながらも、それでも他人の役に立ちたいと本気で願い世界に挑み続ける人だと思ってる。)、感動を求める観客との利害関係の一致だ。それをさぞ「他人のために」、とか語るのは上から目線も甚だしい。何様のつもりだとまで思うことがある。それにアスリートとしての存在価値を証明する場なんてオリンピックである必要などない。証明舞台さえあれば別にどこでもいいだろうと思う。世界大会だろうがオリンピックだろうが大して変わりはしないだろ。オリンピックの存在自体無意味だと思う俺からすればそう考えている。

まぁ、まとめてしまえば、スポーツ選手にとってみては、大会はプロとしての存在価値を発揮するための場であって、オリンピックは存在価値を最大のインパクトをもって証明する場なのだからスポーツ選手にとってみてはオリンピック中止というのは不満足以外の何物でもないのだ。それに加えて、オリンピック選手だからという理由で政府により優遇されているから、下手に政府に歯向かえば痛い目に遭いかねないと恐怖心に苛まれてることも恐らく真実だろう。だが、かといって下手にやりたいです、とか言えば国民の反発を買って大バッシングだ。そうなれば選手として生きてくことすらままならない。だから敢えてオブラートな言い方して場をうまく鎮めようとしたんだろう。中止になったらなったで努力するだけ、とは言いつつも、本心としては東京オリンピック一度延期されて挙句の果てには中止とかなったらスポーツ選手にとってみればたまったもんじゃない、やりたい、開催してほしいってもんだろう。あとはあれか。オリンピックは四年に一度で、スポーツ選手の寿命は短いから、東京オリンピック中止になったら次いつ参加できるかわからないから何としてでも2021には参加したいって魂胆もあるのかもしれないね。

ただもっとびっくりしたのが、池江璃花子さんの心中の報道聞いて、『オリンピック開催だ』という意見を急に言い出す人に驚きと呆れを隠せない。いやなにその付和雷同みたいな感じ。てか発言一個で振り回されすぎだろ、短絡思考ぶちかますのも大概にしとけや、と率直に思う。表面にばっかり囚われて、発言の意図とか、趣旨とか本質とかろくに見てない奴らばっかりだな、赤城左門に「どいつもこいつもバカばっかりだな!!!!!!!!!」と罵倒されるぞお前ら。とか言われやしないかと本気で不安になった。これっていかに日本人が「有名人が○○○○と言ったから」とかいう内容には全く踏み入れることなく軽率な判断してるかってことよね。今日のドラゴン桜にもあったけど、そんなんだったら、上に立つ奴らにいいように利用されるだけだと思うけどなぁ。自分で考えようする習慣持っとかないと搾取されるわ道具のように使われるわ、そんなんでいいのかなぁ、と思う。まぁ、別にどう生きるか決めるのは個人に委ねられてるから、そこは本人の自由なんだけど。俺としては他人に利用されるの大嫌いだけど。一個人の見解だから話半分で聞いてくれた方が無駄ないざこざなくていいってのはあるけどね。読者の皆さんどう思います?

俺個人としては、東京オリンピックは中止する方が妥当だと思ってるから以上のような言い方した。

俺がもしスポーツ選手だったら、「立場上あまり声を大にして言えないけれど、あくまで個人的見解として話半分で聞いていただけるならば。わざわざ俺ら選手のために混沌を極めている現状で大会を行うよりも、ワクチン接種のための準備や医療体制の立て直しの方に力を注ぐべきだと思う。」と言っていたと思う。

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