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波上宮は、那覇港を見下ろす断崖の上に建つ「遠景映え」の神社だ(2023アーカイブス)

2022年5月10日(火)③

街というのは、その「構図」が自分のものとなり、好奇心の思うままに自由自在に動き回ることができ、さらなる「好奇な体験」に出会えるようになると、途端にたのしさが増す。

簡単に言えば、「土地勘」である。

私はその「土地勘」を一瞬でも早く掴みたいと、いつも思う。

街の構図を掴むにはひたすら街を歩く、これだけである。私はかなりの方向音痴で同じ道を何度もぐるぐるする羽目になるのだが、知らぬ土地ではそれも一興。最近ではスマフォもあるし、基礎的な情報量は莫大に増える。写真撮りまくり、街探索しまくりで、なるべく早く、街の(自分にとっての)スイートスポットを探し出すのである。

着いて間なしだ。普段の(短期の)出張であれば、時間がもったいないので、すぐにでも探索を開始するのだが、今回は長丁場、とりあえず、スーパーでオリオンビールと今晩のめしでも買いに行くかと、外に出た。

マンションの隣はいきなり風俗の「無料案内所」であった。以下、この着いて早々の夕方にチェックした(何度も出会うことになる)「わが町」のお得意スポットを書き出してみる。

となりのブロックのあたりに「ファミリーマート」。その対面になにやらうまそうな沖縄そばの店(その時点では営業してなかった)。いい感じの三味線の販売店。やたらきれいな「ほっともっと」(弁当屋)。インド料理屋。「辻スーパー」といういかにも地元って感じの(こじんまりとした)スーパー。有名な「ステーキハウス88」の(なんと)本店。それから、書き出すときりがない数の「たのしそうなお風呂」である。薄暮の中を通り抜けると、店の前の(やっぱり少し強面の感じの)お兄さん方が、全力で声をかけてくる。

曖昧な笑いを返し通り過ぎる。手にはスーパーのレジ袋。本土とは違い、◯円よこせなどとケチくさいことは言わず、黙って入れてくれた。なかには、今晩早速試す沖縄フードが入っている。オリオンビール、ポテサラ、日替わり弁当、テビチというラインナップである。

まずは、「食卓兼執務デスク」で最初の「晩酌」なんぞをやろうではないか。

低く長細いテーブルの前に腰掛け、プシュッとオリオンビールのプルトップを開けた。

無事、滞在一日目は終了。さあ、沖縄キャンプが始まった。

(おもしろおかしく書く必要はないが、地元フードの感想は記しておきたい。ポテサラ〜なんでこんなに甘いの? という味。日替わり弁当〜とにかく素朴で良い。テビチ〜手つかずのまま冷蔵庫へ。明日の朝飯になる)

2022年5月11日(水)

6時30分起床。外は曇っている。

さあ、うまく沖縄キャンプに「入って」いけるか。

午前中は「定例の仕事」を済ませ、昼過ぎから周囲を把握するための散歩と買い出しという予定を立てた。

朝飯は、昨日残しておいたテビチ。電子レンジで温め、スープを啜る。

テビチとは、下処理をした豚足をトロトロになるまで煮込んだ沖縄料理である。朝から「豚足」とは乙なもの(?)。これぞ、沖縄滞在、と混乱した頭で考えながら、骨までしゃぶりあげた。

さて、探検の開始である。

昨日は、ホテルに隣接するブロックで、最低限の生活をするための「構図」を描いた。今日は、私のいる場所が、那覇市内のなかでどんな場所にあたるのかということを「実感」するために、歩いてみることにした。

波上宮は、那覇港を見下ろす断崖の上に建つ「遠景映え」の神社だ。

那覇の突端からニライカナイに祈りを捧げる、そんな古代からの真摯な姿が見て取れる、(まさに遠く、隣接する波の上ビーチから眺めると)なんだか心に刺さる社だと思う。

創建に関する詳細は不明とされている。1300年代という説もある。実際に、この場で、古代から海に向かった祈りが捧げられていたらしい。

那覇の港は、古代には、隣国である中国との交易が盛んだった。そのことにより、那覇港一帯は栄え、最初の中国からの移住者たちの村である「久米村」などが作られていった。

港に近いという大きな理由から、波上宮を突端とするこの地区は、長い間、那覇の中心街として機能していた。のちほど触れるが、花街としての「辻地区」が存在するのも、そんな理由からである。

この街の「構図」が変化したのは、戦後、アメリカ軍が沖縄の駐屯を開始したことによる。波の上地区の西側に、米軍の基地(那覇港湾施設)が建設され、秘密保持の観点から「隣接地域」の居住や経済活動を制限した。

その後、街の中心部は内陸部をずれ、牧志地区などを中心とする、現在の国際通り周辺に、公共施設や観光地が生み出され、街の賑わいを作り出すこととなった。

そのような理由で、波の上地区は、すっかり那覇のオールドタウンとなった。観光客が退去して押し寄せるような「ホット」な感じはなくなったが、「古き良き」那覇を見つけられる「通なエリア」として、再注目を浴びそうな状況に映っている。

ここは、海を感じるというより、「古い港」を感じる。これはどういうことか。自然を感じる前に「人々が生み出した歴史」を感じるのである。

波上宮から崖下の波の上ビーチ、ビーチ前の公園を歩いた。

裏手に、地区の生活を支えている大型スーパー「マックスバリュー」があった。

早速、買い出しである。

2022年5月11日(水)②

両手にレジ袋をぶら下げ部屋に戻ってきた。ミネラルウォーターや明日の朝飯など、当面の食料は確保した。東京にいるときには一日2リットルは消費しているので、ペットボトル問題はけっこう大きいが、この食料備蓄の問題に関しては別の稿に譲る。

しばらく休憩したあと、ふたたび街に出た。

昼は滞在先のマンションから北西方向の「海沿い」を散策した。

午後はいよいよ南東方向、那覇の中心街に向けて歩いてみる。

マンションを出て南東方向にまっすぐ下ると「久米」という交差点がある。前述したが、久米は、中国からの移民が形成した古い街である。

激ウマの沖縄そば店やしぶーい「甘味屋」などがある、滞在中いちばん印象に残るエリアだ(何度通ったかわからないファミマもあった)。

交差点の近くには那覇の老舗料亭「料亭 那覇」があった。

この店は戦前から続く那覇を代表する料亭で、地元の旦那衆を集め、「いい料理」そして「いい女性との夜」を演出する店だった。進駐軍が流れ込んだ戦後の混乱期と「赤線廃止」処置などの影響もあり、いまは「その手」の場所ではなく、「風情」を提供する観光地のような役割を担っているが、噂によれば、バブル期あたりまでは、闇でいろいろとがんばっていたという証言もある。(なにをがんばっていたかは、ご自分で)

交差点周辺は、昔、「西武門(にしんじょう)」という地名であった。

「西武門」とは沖縄言葉の当て字である。西という漢字が紛らわしいが、「ニシ」は北を意味し、「北にある大通りの入り口」という意味だ。実際の門がこの地にあり、辻町にあった遊郭への入り口になっていた。(ネットの情報によると、「西武門節」という辻遊郭の遊女とそこへ通う男の別れを惜しむ情歌が沖縄の古い民謡にあるそうだ。)

久米の交差点を3ブロックほど東にずれた場所に「松山公園」がある。

松山公園は、那覇商業高校の隣にあるいわゆる「市民の憩いの場」だが、前述した「久米村発祥の地」を記すモニュメントや従軍看護婦として戦争の犠牲になった白梅学徒隊の「白梅の乙女たち」像など建てられている。

また、その向かい側には、福州園という中国式庭園がある。

福州園は、那覇市の市制70周年および福州市との友好都市締結10周年の記念事業として、1992年に開園した。 多くの移民がやってきた福州市との歴史的つながりが深いここ「久米村」に、福州市の職人により、風情ある故国の姿が再現されている。私の滞在中は改装のため休園中であったが、現在は復活している。

松山公園、福州園を挟んだ大通りを南下すると「久茂地」の交差点である。

ここは国道58号線沿い、那覇の公共施設等がある中心地区で、沖縄滞在中に何度も通ることになる場所だ。ひさしぶりの沖縄訪問だったが、この場所だけは「ああ、ここか」とすぐに思い出せた場所である。

沖縄に来るのは、5回目だということはすでに書いた。

ゆいレールは平成15年(2003年)に開通した。若い時分取材で沖縄に来たときにはまだなかった。「へーこんなのできたんだ」と乗ってみたのは、ずっと時代が下って、2014年ぐらいのことだった。

今回の滞在では、たぶんよく乗ることになるはずだ。

久茂地の交差点は、那覇空港に近い旭橋駅と国際通りの入り口にあたる県庁前駅のほぼ真ん中あたりに(西側にずれて)ある。

両駅の場所を把握したあと、今日はゆいレールは利用せず、以前、来た時に宿泊した「松山地区」の散策を開始した。

松山は、那覇有数の繁華街で、居酒屋のみならず、クラブや風俗関係も多く、「不夜城」の名を恣にしている、いわば、沖縄の歌舞伎町みたいなところですかね。

私は(よそ者が恐れ多くて)そんなディープエリアの本格デビューはしたことはないが、なにかとうろっとしたくなる「風情」が好きで、よくこのあたりを歩き回る。

前回歩いたのはもうだいぶ前になるので、「再確認」も兼ねて、ちょっと歩いてみることにした。

平日の午後とはいえ、人影はまばらだった。雨がけっこう降ってきた。

暑いし、蒸すし、足元ぐちゃぐちゃだし、いやあ、沖縄の梅雨をすっかり舐めてた(いや、梅雨があることを忘れてた)ことを後悔した。

人影が少ないのは、コロナを警戒する街の情勢の影響だろうか。緊急事態宣言等は出ていないが、諸手を上げて観光客を歓迎している状況にはない。

タクシーの運転手に聞くと、今年の梅雨は例年になく「梅雨らしい梅雨」だと言う。

なにも、そんな場所に来なくてもいいのに。ふと、そう思ったが、やめた。

帰り際、ふだん贔屓がちな「セブンイレブン」に入った。ここが、セブンイレブンの上陸したばかりの数少ない店舗だというのは、のちほど知ることになる。

沖縄はFamimaの天下なのである。

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