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再録「あのときアレは神だった」〜大橋巨泉

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)



大橋巨泉さんが逝って、約一ヶ月が経つ(当時)。あまりの存在の大きさとその(約25年も前にセミリタイアしてしまった)「ご隠居感」から、しばしその死に対してポカンとしてしまったが、いま、改めてその功績を振り返って、しみじみとしている。

巨泉さんが、カルチャーを引っ張る「旬の若者」として活躍をしていた時代を、わたしは知らない。わたしのなかの巨泉さんは、あらゆる意味で「THE・中年」なのであった。

一定の権力を持ちあわせ、自信たっぷりに振る舞っている姿。若い頃の好奇心を忘れることなく、多くの遊びを知っている風の解説。若者のキレはないが、迫力満点の中年ギャグ。そして、絵に描いたような中年太り。

当時、わたしのスターだった草刈正雄や萩原健一と比べてしまうと、けっしてかっこいい存在には見えていなかった。だが、なんだかんだいって、巨泉さんのことは好きだった。

会社にも入ってないのに態度でかくて、好きなことばかりやってて、どこか怪しくて、毒気もあるのに、でもみんなに人気があるみたいで。こういう人にどこか憧れていたんだなと、わたし自身、自分の生き方を振り返ってみて、いまさらながらにそう思う。

そういえば、巨泉さんのメガネは「伊達メガネ」だった(近視だがテレビ映りを考え、コンタクトレンズとレンズ無しのメガネを使用)。当時のわたしはそのあたりの「事情」はよくわかっていなかったが、もはや芸能人でなくても伊達メガネが当たり前になった世の中の、かなり先を行った「手練れ芸能人」ぶりであった。

腹は多少出ているが、けっこうかっこいい「インテリ中年」の神。

わたしは勝手にそう位置づけて、僭越(せんえつ)ではあるが、いまでも緩やかにその後を追い続けている。=敬称略 (中丸謙一朗)



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