(第13回) ままにならない天城越え
歌詞にも登場する「浄蓮の滝」。観光客にも人気のスポットである。
「天城越え」は、伊豆半島にある天城峠を舞台に歌われた楽曲である。その昔天城峠と言えば、わたしのなかで、(山口)百恵ちゃん一択であった。あの『伊豆の踊子』の話である。川端康成の名作は何度も映画化され、時々の旬な女優さんたちが主演を努めたが、わたしの場合は、吹き替えでのヌード姿が話題になった、1974年版の印象が強烈なのであった。
で、そのイメージを吹き飛ばしたのが、石川さゆりの『天城越え』である。強烈な歌唱力で女の情念を歌い上げる『天城越え』は、1986年にリリースされ、カラオケの躍進期という時代に乗り、またたくまに国民的なヒットソングとなった(近年行われたカラオケで歌われる曲の調査で、演歌部門一位を獲得)。
天城峠を訪れてみる。静岡県の三島から南へ下田街道を下る。韮山、伊豆長岡、ミスタープロ野球・長嶋茂雄の山ごもりの聖地・大仁などが続く。人気の温泉地・修善寺、湯ヶ島、そして、峠を越えた湯ヶ野は『伊豆の踊子』の舞台となった旅館「福田屋」のあるシブい湯治場だ。
そう、天城峠のある下田街道は、どちらかというとシブい街道である。海に突き出た半島ではあるが、街道はその中心部を背骨のように縦断しているので、海の風情にはほど遠く、潮の香りは最終地点である下田まで待たなければならない。
街道は伊豆半島の、言ってみれば、魚の背骨の部分にあたる。海岸線沿いを走る「縁側」のような「うまみ」はないけれど、骨張った起伏の合間に見え隠れする「とろみ」のある風情。少々比喩的に過ぎるが、下田街道は、たとえて言えばそんな街道だ。
湯ヶ島温泉をすぎると急に道が細く険しくなり、天城の峠越えがはじまる。現代では山間を縫うように通されたバイパスがあり通行に不便はないが、そのバイパスに沿うようにして、旧道が顔をのぞかせ、文学に彩られたその時代の苦労を偲ぶ景色にいまでも浸ることができる。
『伊豆の踊子』では、この天城峠の険しさにはあまり触れていない。峠を越えた、湯ヶ野温泉から河津川渓谷に沿って進む旅は、どちらかというと、踊り子のいる旅芸人一座と道連れになった青年の、甘美で扇情的な思いが、まるでこの道にも漂ってくるかのごとく表現されている。
だが、本来峠とは、その標高差以上に険しいものだ。険しさは絶対であり、越えることは用意ではなく、また越えられることに大きな意味を持つのである。
その険しさをじゅうぶんに表現してみせたのが『天城越え』だ。
「誰かに盗られるくらいなら、あなた殺していいですか」
歌詞に歌われた女の情念は、神々しいまでに険しい。紅白歌合戦に演歌の女王の登場を待たずとも、また、誰に指図されなくとも、(酒の一杯も入れば)夜な夜な新旧の女子が、(カラオケで)こぶしとともに大見得を切る。
「あなたと越えたい天城越え」。
旧道沿いの天城トンネルを静かに通っていると、そんな天城峠の世界が現代にも迫る。草原の軽快なハイキングで健康を感じるのも旅なら、「ままにならない峠越え」に思いを馳せるのもまた旅だ。旧道を10分ほど歩いて嫌気がさしたわたしはさっさとクルマに戻り、エアコンの効いた旅を続行した。
〜2019年8月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
『天城越え』の歌碑。ちなみに「天城越え」とは、越えるという動作ではなく、天城峠(地名)そのものを指している。
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