(第7回) 母なる島・久高島
沖縄・久高島(くだかじま)は、沖縄本島南部からフェリーで約20分ほどの距離にある。周囲の大きさは約8キロほどの小さな島で、そこには、「母神」を戴く原初信仰がある。久高島には神がいるのである。
沖縄の言葉 「ニライカナイ」は、豊穣や生命の源を表し、理想の神界であるとされる。久高島は、この「ニライカナイ」への入り口である。
久高島では、長い間、荘厳な祭礼が行われていた。それは「イザイホー」と呼ばれ、選ばれた女性の聖職者(ノロ)たちによって12年に一度、島の祭儀場で執り行われていた。島の中心的祭儀場である「フボー御嶽(ウタキ)」は、祭礼の行われなくなった現在でも、完全なる男子禁制の場である。
この地が注目を浴びたのは最近のことではない。1960年代に、芸術家の岡本太郎がこの島を訪れた。島に伝わる伝統的な祭礼の文化に魅せられた岡本は、当時、某週刊誌に詳細なルポを書いた。古く見過ごされていたここ琉球の、「奇妙」にも映る風習や文化に世間からの注目が集まり、観光や研究対象としてこの島が一躍脚光を浴びることとなった。
密やかに行われていたはずのことが、陽の目を浴びたおかげで、本土との違和感や、島民の醸しだす時代感覚のずれが浮き彫りになった。後、新たな聖職者の不在などの要因も重なり、島の風習を含む祭礼自体が執り行われなくなってしまった(現在は中断という認識である)。島民はおおいに悲しみ、本土の人々は困惑を隠せなかった。琉球の貴重な無形遺産が消えたのである。
70年代には、多くの芸術家がこの島に魅せられた。売れっ子写真家・篠山紀信がこの土地を気に入り、足繁く通った。もちろん、そのなかにはのちの奥様、シンシアこと南沙織(沖縄県出身)嬢の撮影も含まれていた。
芸術家が愛した島。たしかに上陸すると、そのことがよくわかる。霊的で、創造的で、心配ごとが吹き飛んでしまうような、そんななんともいえない心地よい安らぎに包まれる。
久高島は、母なる島。マザコンならずとも、多くの男女が、この島の包容力に完全にやられる。「パワーをもらう」とか「癒やしをうける」なんていう安っぽい表現ではない。自分のこころを置いて行きたくなる、そんな安らかで不思議な感覚にとらわれてしまう。
島には200人ほどの住人がいる。私有地はひとつもない。案内をしてくれる琉球の旦那は言う。「ここは誰の土地でもない。母なる女性たちが神様を見守る祭礼の地だ」と。
本土から久高島に渡り、「観光」をして回るには、さまざまなルールがある。勝手に動き回ることはできないし、入ってはいけない場所もある。飲食に関しては不自由を余儀なくされるし、アクセスには天候や時間的な制約もある。そして、人々は、厳かな気持ちで、母神のいる海岸にお邪魔し、彼女の通る道をすまなそうに通らせていただくのである。
「目に見えないもの」が商品になる。観光の分野でも、いずれそんなステージになる。だれもがそのことを感じ始めている。「たのしい」という言葉には、「富んでいる、豊かである」という意味もある。神を感じ、自然の豊かさを感じる圧倒的な場所。それは、紛れもない「たのしい観光地」である。
〜2017年4月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
*表題写真は、『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(比嘉康雄著、集英社新書)に掲載されたイザイホーの様子。
【久高島】(沖縄県南城市)
沖縄本島南部の安座真港からフェリーまたは高速船で渡る。一日6便。島内はガイドのクルマやレンタルサイクルなどで周る。島内のルールは厳禁。最近では観光振興にも力を入れ始めている。
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