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NHK朝ドラ『らんまん』で人気の牧野富太郎博士の軌跡を訪ねる高知県立牧野植物園の旅

龍馬脱藩の年に生まれた土佐・在野のヒーロー

牧野富太郎博士の生涯が、NHKの朝ドラ(2023年度前期、神木隆之介主演)になっている。その業績に比べ、全国的な知名度がじゅうぶんではなかった牧野博士にスポットが当たることを、牧野植物園のスタッフは、地元の人たちとともによろこんだ。だがそれと同時に「アフター朝ドラ」を見据え、牧野博士の名を冠した施設としてさらなる進化を遂げていかなければならないことも痛感している。

今年は牧野富太郎博士の生誕160年にあたる。

高知県高岡郡佐川町出身の博士は、幕末の動乱期に、この世に生を受けた(1862年)。坂本龍馬が脱藩をし、故郷土佐を離れた年である。

経済的にも恵まれた早熟の天才気質で、牧野博士は早くから頭角を表した。東京で研究生活の足がかりを掴みながら、研究に没頭、明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜きながら、日本の植物分類学に多大な業績を残した。

1957年に逝去。翌年、博士の業績を記念し、故郷高知の五台山麓に県立牧野植物園が開園した。


牧野博士の業績を引き継ぐとともに、県内の野生植物の調査、収集、保全などを行う施設として期待された。大幅なリニューアルオープンを果たした1999年に「牧野富太郎記念館」を新設。植物学の中核を担う標本庫(ハーバリウム)を設置し、植物分類学、生態学の本格的な研究活動も開始した。

雨に濡れた葉が、豊かな大地に裏返しに落ちている。そんな様子を表現した建物は、各メディアからも高評価を受けた。

館内の資料に影響を与えないギリギリいっぱいの光量で採光された開放的な空間、各所に見せる、木のぬくもりが伝わる有機的なデザイン。そのどれもが心地よく、まるで小さい生き物になってその土地に包まれているような不思議な感覚を感じる。最新のリニューアルに伴い、オリジナル映像作品が楽しめる「4Kシアター」、博士の貴重な植物図や標本などが展示される「牧野蔵」が増設された。


牧野富太郎記念館本館。内藤廣氏設計。外気の吹き抜ける空間、水盤など、自然と一体化した構造が評価されている。
牧野博士が日本各地を隈なくめぐり標本採集した場所が、地図上に示されている。手前は標本。

植物園は、研究棟のある本館と展示館が屋根付きの回廊で繋がれた構造になっている。建築時の土地収用の問題もあったようだが、170メートルにもおよぶ「自然の回廊」は、そこが五台山という「山中」であるということを体感できる貴重な空間となっている。

取材時、牧野植物園(牧野記念財団)の研究員で、自身も植物分類学者である藤川和美さんが迎えてくれた。

牧野富太郎博士の激動の人生を事細かに解説する役目はこの稿にはない。朝ドラを楽しみにするのもいいし、ぜひ植物園で彼の人となりを味わってもらいたい。それよりも、まずここで押さえておきたいのは、「分類学」という学問のことである。

後世のため、生涯40万枚の標本資料を収集した

分類学とは、

「多種多様な生物を系統的に整理し、それが生物界全体のどこに位置するかを研究する学問。自然分類が主流を占める。」(講談社『日本語大辞典』)

とある。

牧野博士のやったことを簡潔に述べると、まさにこれである。植物園はHPにこのように記している。

「生物の種類ごとに、その特徴を学術的に記述し、記録することを『記載』と言います。牧野博士の分類学の主な仕事は、植物の記載学と言えます。まだ日本の植物が解明されていなかった時代、牧野博士は自らの足で全国を歩いて調査し、未知な多くの植物に学名を付け、記載しました。その数1500以上。牧野博士の時代には、中国や韓国など周辺の国の植物と日本の植物を詳しく比較することが困難だったのですが、牧野博士が学名をつけた植物は、その後、後進の研究者によって比較研究が進み、周辺諸国における植物分類研究の進展にも貢献しています」


牧野博士は、生涯に40万枚とも言われる膨大な数の標本資料を収集した。それらの標本が後世の科学者の研究活動に重要な役割を果たした。さらに、牧野博士の集大成のひとつが『牧野日本植物図鑑』の出版である。植物の線画を掲載した数多くの図鑑を発刊。現在では、精密な写真による図鑑が一般向けに出版されているが、牧野図鑑はその先がけとなった。

後進の分類学者である藤川さんは、青年海外協力隊でネパールに行き、ヒマラヤの植物に出合ったことがこの分野に進むきっかけとなった。その後、ミャンマーの植物分類学の推進に共同参加(現在のミャンマーには植物全体を網羅したデータがない)、牧野博士の精神、標本、研究施設と揃った現在の状況は、研究者としては最高の環境であり、この貴重な「資源」のさらなる活用を目指すのが使命だと語る。

牧野植物園は、研究機関だけではなく観光施設としても期待されている。

いまなぜ牧野博士が、朝ドラのモデルに選ばれたのか。植物園のスタッフの方にそんな疑問を投げかけてみた。


「お客様の感想などを伺っていると、自然やエコロジーに注目が集まっているということに加え、まるで『植物の妖精』のような博士の笑顔や親しみやすさが、殺伐とした時代の一種の癒やしとして求められているのかもしれません」

と語った。

龍馬さん然り、博士のキャラクターが再評価され、それが「ひとり歩き」していくことは、それはそれでよろこばしいことなのかもしれない。

だが、「キャラクター」だけではなく、その多大な業績にもきちんと目を向けてほしいと、植物園スタッフたちは新たな展示の可能性を探る。

「遊び」で終わらせない植物園の使い方

牧野植物園には、もうひとつの自慢すべきものがある。牧野家から寄贈された約6万点にもおよぶ貴重な蔵書や遺品が収められた「牧野文庫」である。植物学、分類学、生態学、本草学など、あらゆる資料が豊富に揃う、研究者のみが入室できる貴重な空間だ。

特別に書庫内を案内してもらった。植物に対する(牧野博士を筆頭とする)研究者の熱い思いが伝わってくるような空間だった。

「学び」と「物見遊山」の違いはなんだろう。

私たちは子どもの頃から、親や先生に「指導」され、さまざまな博物館に触れてきた。博物館や植物園は単なる「遊び」の施設ではない。草木を楽しみ自然に触れる。教養を育む。たしかに、そう教えられてきた。私たちは、いつそれを忘れたのか。

牧野植物園が、自分の知らない植物と出合う楽しさを教えてくれる。

単に施設のお客さんとして終わるのではなく、そうだ、利用者として貪欲に施設を使い倒そう。

「自分の目で事実を掴むのが学問の基本です。そのきっかけがこの植物園になるのだとしたら、研究者としてとても誇らしく思います」。

藤川さんはそう語ってくれた。

『地域人』81号、大正大学出版会発行(2022年5月発売)に掲載







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