再録「あのときアレは神だった」〜竹村健一
テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。
(2016年より、夕刊フジにて掲載)
◆
「だいたいやね~」
「わたしなんか、これだけですから、これだけ」
「デリーシャスよ、奥さん」。
あの態度、あのセリフ、そして、あの髪形。
竹村健一の存在は衝撃的であった。
タモリに「チャンター分け」と称された謎の髪形とパイプ姿。なんだか知らないが、めちゃくちゃ頭がよくてすごい人らしいという「噂」。そんなイメージで彼は、われわれに迫ってきた。
竹村は、フルブライト奨学金留学の第一期生である。なんでも、アメリカが優秀な日本人エリートの育成のために自国に招待してくれる留学プログラムがあるんだなと、そんなことを知ったのもこの頃であった。
この頃とはいつか。
竹村の姿が、子どもたちにまで浸透したのは、1980年頃からではないだろうか。その頃、数々のCMやその流行語をパロディーにしたレコードが2枚も発売されている(『MOU KORIGORI DA』『竹村健一の手帖/ぼくなんかこれだけですよ』)。
神というにはあまりにも人間臭い人だったような気がする。
パロディーにされているのを薄々わかっていながら、バラエティー系の畑にあまり降りすぎないのも絶妙な感じだった。また、今から考えると、ものすごいポジティブシンキングで、自己啓発的な意識を大事にし、(髪形まで含め)セルフプロデュースの先駆けとなるような客観性も持ち合わせていた。
彼はぽっと出の文化人ではなく、若い頃から長年に渡り活躍していた。だが、当時の子どもたちはそのすごさにちゃんと気づかず、いくぶんポカンとしていた。
竹村健一は今でいうところの「意識高い系の神」である。
そういう言葉や概念が、英国の「エコノミスト」や米国の「ニューヨーク・タイムズ」に載っていたのかどうかは知らないが、すっかり30年も先を行っていたのだなと、いまさらながらにそう思う。
最近はあまりお見かけしないが、いつまでも元気でいてほしいチャーミングな神である。 =敬称略 (中丸謙一朗)(2016年当時)
注 竹村氏は2019年に逝去されました。ご冥福をお祈りします。
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