再録「あのときアレは高かった」〜電動鉛筆削り11000円の巻
「あれ、欲しい!」
そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。
昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。
◇
長年の知り合いであるよし子は、会うたびに、「とにかく私は単純労働が好き、ただひたすらに言われた指示に従い黙々と作業する、そういうのが好き」と力説する。「じゃ、鉛筆削りとかでもいいの?」と古典的なことを聞くと、「ああ、それは理想だ」と、149センチの身長で笑った。
その昔、鉛筆は小刀で削るものであった。その後、ハンドルをグルグルと回す鉛筆削り器が幅をきかせ始めた。そして、進化は加速する。私は新人類などと言われた世代であるが、その「新」である理由のひとつは、鉛筆が「電動で」削られるようになったことだ。
電動鉛筆削りは昭和40年代に爆発的に普及した。
価格は、たとえばこのナショナルのパナパーム(1970年当時)は3500円。消費者物価指数で現在の価格に直すとおよそ1万1000円もする。安くはない。だが、勉強のためのものであるため、比較的簡単に手に入ったような気がする。
この商品、買ってもらったからといってうれしかったという記憶はない。いや、むしろ、もたもたとした手つきで鉛筆を削り、トータルでの勉強時間を水増しする、そんな楽しみというか「子どものたくらみ」を奪い去った恨みさえ残る。
ジャーっと、あっという間にキンキンに削られた半ダースの鉛筆にキラリと光るシルバーのキャップ。かたわらには真新しいMONO消しゴム。これらを机の上に揃えられ、「さあ、宿題やれ!」と親に「居直られた」あの恐怖……。
電動鉛筆削りを買ってもらうより、いっそ自分が鉛筆削りになりたい。ああ、よし子が言い続けてきたことは、このことだったのか。「ジャー」っという「耳障り」な音を思い出しながら、私は今頃になってすべてを悟った。