(第4回) 五台山で『南国土佐』を想う
高知の人は、ほんとうに高知が好きだと思う。私見だが、高知、秋田、宮崎には、ある同じ特徴を感じる。それは、「奥まっている」という感覚だ。存在する地理的特徴に起因しているが、東京の中心部からダイレクトに渡ってこれる感覚がなく、一旦、どこかを経由してくる感覚だ。
たとえば、秋田なら盛岡を経由し、宮崎なら鹿児島、そして、高知の場合は、本州の入り口、高松と言うわけである。もちろん、この時代、空路を使えばダイレクトに来ることも可能だ。だが、そういう実際のインフラの問題というより、地理的隔絶性が生む、ちょっと閉じた感覚が、傍観者にはおもしろい。そして、その閉じた分だけ、高知の人は高知を愛するというわけである。
「南国土佐を後にして」は、1958年にペギー葉山が、NHKの番組で歌ったことがきっかけで全国に広まった。翌年にシングルレコードが発売され、一年間で100万枚のヒットとなった。曲を作った武政栄策氏は、「補作・編曲」というかたちで携わり、原曲は、中国大陸中部に出兵した陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に歌われていた曲とされている。同部隊には、高知系出身者が多かった。戦後、復員兵らによって高知県にこの歌が持ち込まれ、土佐人の間に「ふるさとソング」として定着していった。
歌詞の後半部には、古くからこの地に伝わる有名な民謡『よさこい節』が使われている。市内中心部にある「はりまや橋」、「浦戸(湾)」の入り口にあたる、沖合底引き網漁業で有名な「御畳瀬(地区)」、県内屈指の観光地「桂浜」などが、情景豊かに歌われている。
浦戸湾を挟んだ高知市の東側に五台山という山がある。標高150メートルにも満たない低い山だが、頂上付近の展望台からは市内各地が一望できる。地形が中国山西省の霊山・五台山に似ているので、奈良時代の僧、行基上人によってそう命名されたとされている。麓には、夢窓疎石開祖の寺、吸江寺があり、また、中腹には同じ夢窓疎石が庭園をつくったことで有名な竹林寺(四国八十八箇所三十一番札所)がある。また、東側の斜面には、日本植物学の父・牧野富太郎を記念した高知県立牧野植物園がある。ここは豊富な種類の植物だけはなく、建築物としての評価も高い。
山頂付近の五台山公園のなかに『南国土佐を後にして』の碑が建てられている。市内からは少し離れた、観光で訪れると見落としてしまいがちなエリアだが、見渡せる素晴らしい景観と土佐人の望郷の念を凝縮させたようなこの地に、その歌詞がしかと刻まれている。
高知市内や太平洋が見渡せる五台山は、土佐人の望郷の念を感じる山だ。
歌手、ペギー葉山は高知の出身ではないが、2012年、歌手生活60周年をたたえ、市内中心部のはりまや橋公園内に「南国土佐を後にして」の碑が新たに建てられた。
高知の人が高知を思う気持ち。それは力強くもあり、また、その地理的隔絶性ゆえ、どこか寂しげでもある。土佐人が見せる、荒海に負けることない豪快さと強情っ張りな気質。そして、ふと黙り込んでしまうような諦観の表情。「南国土佐を後にして」は、土佐人に愛されるべくして生まれた名曲である。
浦戸湾の長浜・種崎間には、風情ある渡船がいまでも運行している。