再録「あのときアレは高かった」〜マツダ・コスモ(2代目・AP)の巻
「あれ、欲しい!」
そう思うが月々のお小遣いでは到底手が出ない。恐る恐るおかんに相談してみたら、「そんなのおとうさんに言いなさい!」とピシャリ。
そりゃ、直接言えるのなら、おかんに相談しませんわな……。
と、そんなわけで、クラスの中の金持ちのボンだけが持っているのを横目に見ながら、泣く泣くあきらめたあの日の思い出。
そう、あの時あれは高かったのだ。
昭和の、子どもには「ちょっと手の出しにくい」ベストセラー商品。
当時の価格や時代背景を探りながら、その魅力を語る。
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当時、小学生だった私が初めて「カー・オブ・ザ・イヤー」という言葉を聞いたのは、このマツダ社の自動車『コスモ』が発売された時だった。
先日、ひさしぶりに映画『TATOO<刺青>あり』(高橋伴明監督、1982年作品)を観た。宇崎竜童が実在の猟奇的殺人犯「梅川」を演じた映画だが、その劇中に真っ赤なコスモが使われていた。
マツダのコスモ(2代目・AP)は、スポーティーさに四角張った表情を残した独特のデザインと、マツダが社運をかけて開発したロータリーエンジンを搭載した憧れのマシーンであった。
75年に発売され、当時の若者を中心に人気を博した。映画の劇中に使われていたのは発売の7年後で、ちょっと旬を過ぎた流行り物みたいな小道具としての登場だったように思う。
コスモ・シリーズは人気があった。
各社のスポーツタイプのブームのさきがけとなっただけではなく、2代目APは積極的に排ガス規制に対応したり、高級感や豪華さを押し出し、オイルショック後の市場で異彩を放った。
「日本カー・オブ・ザ・イヤー」は80年から正式に運営されているが、その前史として70年から某自動車雑誌誌上で行われていた選考で、コスモAPは75年度の大賞を受賞している。
発売当時の価格は181万円(コスモAPリミテッド)。現在の価格に直すと約325万円である。この値段の感じ方はいろいろであろう。
クルマ自体がまだハイテク機器のような進化を遂げる前なので、その存在のわりには値段が安いと捉えるか、あるいは、高度経済成長のまっただ中の、「明るい未来」に大枚をはたくような、そんな今で言うコスパの悪い行為だと捉えるのか。
当時小学生だった私にはその経済的実感はないが、「ああ、早くこういうクルマを乗り回せるおとなになりたい」とだけは思った。
後年、諸問題をはらんだロータリーエンジンの生産は中止され、このコスモAPはいわば幻の名車となった。
いま、私の手元にはコスモAPのミニカーがある。一発屋としての哀愁はたっぷりだけど、それにしてもセクシーなフォルムだと思う。