(第15回) 欅坂46が歌う「渋谷川の新風景」
稲荷橋付近の変貌しつつある渋谷川の景色。
神宮の杜にきれいな水がある。明治神宮庭園内に湧き出る清正井(きよまさのいど)である。ここはずいぶんと前からパワースポットとして認知され、高感度女子たちの携帯待ち受け画面にもされている有名な場所で、ある川の源流のひとつになっている。渋谷川である。
童謡『春の小川』がこの渋谷川をモデルにして生まれたというのは、ずいぶんと言われていることなので、ご存じの方も多いだろう。その歌碑は、渋谷から代々木公園方面へと続く「奥渋谷」、線路脇の暗渠にある。渋谷川という名前は主に流れていた渋谷村に由来。渋谷とは平安時代末期にこの地を治めていた豪族の名前である。
渋谷川を感じる街歩きに出た。明治神宮や新宿御苑から湧き出た水が東京湾へとつながる川を作った。『春の小川』に歌われたような風景は失われ、ほとんどの地点が暗渠となっている。渋谷川の「痕跡」は頻繁に聞く地名として都内に残っている。参宮橋、並木橋、天現寺橋、古川橋、一の橋、赤羽橋、浜崎橋。その他、原宿界隈の「ブラームスの小径」や「フォンテーヌ通り」も、「渋谷川暗渠」として知られている。
欅坂46は2016(平成28)年に、その名もズバリ『渋谷川』という歌を出した。歌詞を眺めると、都会の片隅に忘れられたように存在する川に恋愛相手に対する思いを重ねた、いかにも彼女たちらしい歌だ。
わたしのイメージのなかにあった渋谷川はもちろん『春の小川』のそれではない。渋谷、代官山、広尾、天現寺、麻布十番。少しずつ華やかさを増していく80年代終わり頃の明治通り。その輝きに平行し、置いていかれるかのように存在していたドブ川。それが渋谷川のイメージだ。
彼女たちが歌った渋谷川は、それではない。令和の到来とともに生まれ変わる新しい川の「風情」がここにはある。
渋谷駅南口の再開発が進み、居酒屋などが点在していた味のある一角が消え去り、代わって登場したのが、グーグル本社の入るハイテクビルだ。
駅裏を増殖途中の歩道橋を渡り、渋谷警察署の対面に当たるエリアへ。駅の地下を線路や地下道と織りなすように流れてきた渋谷川は、このあたりで地上に顔を出す。稲荷橋である。
このあたりは以前とすっかり様子が変わり、とてもきれいでおしゃれな川沿いエリアになった。コロナ禍で現在は寂しいが、遠くに巨大なビルを臨む川からの眺めはなんともいえないクールさ。界隈の若いビジネスマンたちがコーヒー片手に川沿いで雑談をしている光景なども目に入る。
パリやサンフランシスコなど、海外の多くの都市は、都会の川を雰囲気のあるかたちで活用している。川沿いのカフェや運河沿いのローカルタウンなど、そんな風景を20年ぐらいからよく目にしていた。自然状況や治水の考え方などの違いもあり、海外のそれに比べると東京の「川沿いへの視線」は遅れをとっていたようにも思えた。だが、隅田川の湾岸地区を皮切りに、渋谷川、目黒川、神田川など、今、少しずつ川べりが変わりつつあるように思える。
都心の運河沿いの遊覧船やカフェ、桜のシーズンで有名になった目黒川沿いのおしゃれな発展ぶりももはや定着した。山の手・井の頭線沿線地区の神田川沿いエリアあたりにも、川の風情をうまく取り入れたセンスのいい邸宅などが目につくようになってきた。改修を重ねる渋谷川もまだまだ開発の余地はある。
流域を順番にたどりながら、明治神宮から原宿、渋谷、広尾、麻布十番などを縫っていく渋谷川にあらためて思いを馳せる。この30年間、まさに東京の「おしゃれ」の流れをつくったかのような存在であることに驚く。
渋谷川の稲荷橋から渋谷駅方面を眺めると右奥に原宿方面へとつながる青山通り、金王坂下の歩道橋がある。1980年代、ミュージシャンの尾崎豊が学校帰りに渋谷の街を眺めていたという伝説の場所だ。渋谷川散策の最後にそこを訪れると、隣接するビルのテラスに置かれたレリーフにファンからのたくさんの落書きがあった。
川のせせらぎはない。雑居ビル群の上空にかすみがちな空を見る。尾崎豊が眺めた景色。渋谷川はあまりにも都会的な川だ。そう思った。
〜2020年9月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂
小田急線沿いの渋谷川暗渠。この裏側に『春の小川』の歌碑がある。
渋谷クロスタワーにある尾崎豊のレリーフ。