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今こそEエンドが示す意味について考えてみたい【NieR:Automata】

こんにちは。
初めましての方は初めまして。


皆さん、『NieR:Automata』というゲームをご存知ですか。

知らなかったらこの記事を覗くことはまずないとは思いますが、一応軽く解説します。

『NieR:Automata』とは2017年にスクウェア・エニックスより発売されたアクションRPGです。

開発は『BAYONETTA』や『METAL GEAR RISING』で知られるプラチナゲームズ、ディレクターは『ドラッグ・オン・ドラグーン』や『NieR Replicant』で知られるヨコオタロウとなります。

世界で高い人気を誇り、最近だとアニメ化までされた作品です。


先日、そんなアニメ版の『NieR:Automata Ver1.1a』が最終回を迎えました。

アニメの総括になりますが中々良かったんじゃないかなと思います。

正直1期はゲーム版と違う箇所はあれど概ねゲーム通り且つコロナでのゴタゴタもあったせいで、良くも悪くも無難というのが本音でした。
コロナ抜きにしても特筆すべきところがない作画やら演出やらの要因で“無難”で終わってたとは思いますが…。

しかし、リリィというゲームには存在しないキャラ(リリィ自体は舞台やコミカライズにてアニメより前に登場済み)を筆頭にレジスタンスキャンプの描写が多くなっていたこととそれに伴うA2の掘り下げ、リアルタイムで6年以上の年月の経過によって2Bや9Sの真実を満遍なく描けるようになったことでより詳細かつ分かりやすくなった2人の内面描写、そしてこれらを1期で堅実に行ったことが項を生して、2期ではゲームの補足という意味で上手く差別化できてると思いました。



そんなアニメ版も遂に原作のC(D要素も少しあったね)及びEエンドを迎えたわけですが、こちらも面白かったです。

醜いながらも家族の想いと託されたものがあるこの世界を守るために戦うA2、9Sと2Bの命を守るために奮闘するポッド、そして笑顔の9Sに「おはよう、ナインズ」と呼びかける2B、最後の“alternative [E]den”での締め。

後述するEエンドの意義をより強調していて、ゲームとはまた違ったEエンドを見れて、新鮮な気持ちでした。

2期も不満がないと言えば嘘になりますが、最終回含めて楽しめました。

制作陣の皆さん、お疲れ様でした。


まあ前置きの前置きはこのくらいにして、今回は改めて ―アニメが終わったこのタイミングで─ オートマタのグランドフィナーレであるEエンドとそれにおけるセーブデータ消去にどういった意味が込められているのか考えてみようと思います。

文章や構成に拙いところが多々あると思われますが、そこは目を瞑っていただければ幸いです。



1.NieR: AutomataのEエンドに至るまでの簡単なあらすじ


塔と呼ばれる詳細不明の構造物にてヨルハ計画の全貌を知った9Sと、彼を救うために、そして世界の呪いを断つためにその足を踏み出すA2。

そんな2人の己の想いを掛けた最終決戦の幕が切って下ろされました。

余談ですがこの2人、少なくともこの時は両者共に根底に2Bが在るのがとても好きなんですよね。

その結末はCエンドとDエンドでそれぞれ異なっていますが、今回のメインはそこではないのとこの記事を読んでいる方の多くは周知の事実だと思われるので詳細は省きます。

強いて言えばCはA2の、Dは9Sの勝利エンドといった具合です。

そうして、このCとDを両方クリアした状態でエンディングを迎えるとエンドロールの最中に異変が起こります。

何やら2Bたちのパーソナルデータが漏出してるらしいとのこと。

本来ならヨルハ計画に則ってそのままデータを削除するところですが、ポッド042はそれを拒絶し、流出した2Bたちのデータサルベージを実現するために防衛プログラムと戦うことになります。

弾幕ゲー、開始


そうして脅威の弾幕シューティングをクリアすると、この世界の何処かに眠っているように横たわる2B、9S、A2が映って物語は終わります。

最後に、Eエンドをクリア出来ずに苦しむ他の人々を助けるためにプレイヤーは自らのセーブデータを消して、『NieR:Automata』という作品は真の意味で完結します。

まあ、あらすじはざっとこんな感じです。

何度も言ったように、ニーア知らない人がこの記事を読むことはまずないし、皆さんからしても「んなこと言わなくても分かってんだよ!」と感じてる人が多数だと思うので、ここら辺は深く捉えなくてもいいです。


2.NieR ReplicantにおけるDエンドの存在

今回の話題を取り上げるうえで絶対に切り離せないのでこちらも触れます。

知っての通り、セーブデータの消去というそれ自体は『NieR Automata』の前作に当たる『NieR Replicant(Gestalt)』でも行われています。先駆けのような存在ですね。

というより、寧ろこのDエンドをオートマタが意識した結果がEエンドと言えるでしょう。

しかし、後述しますが同じデータ削除でもレプリカントとオートマタでは意味合いが対極に位置するという事実は留意していただきたいのです。

レプリカントのDエンドでは自身の中に封じ込めていたゲシュタルトであるテュランの暴走により自我を失ったカイネを救うためにニーアは自身の存在を引き換えに彼女を人間へと戻します。

この時、ある種のメタ演出として、そしてこの決断を下したニーア=プレイヤーの払う代償としてセーブデータが消失することになります。

結果としてニーアの存在も彼が生きた証も全てが世界から喪われてしまい、最愛の妹であるヨナも自身を賭して救ったカイネからも忘れ去られてしまいます。

しかし、そんなカイネの髪飾りであった一輪の月の涙が地へと落ちます。

それを見たカイネはこう呟くのでした。

「とても大切なモノをもらった気がする」、と。


正直、ここで“受け取った”や“譲り受けた”、“託された”といった言葉ではなく、敢えて“もらった”という表現を用いたのは何かしらの意図があると踏んでいますが、まだ上手く言語化できないのでまた機会があれば掘り下げたいです。


これらの要素と作品全体のテーマを考慮すると、レプリカントのDエンドでは、“命の消滅と残光”を体現していることが伺い知れます。


一人の為に全てを滅ぼす


というキャッチコピーの名の通り、ニーアは世界のみならず自分すらも犠牲にして大切な人を守ったのです。


と、断ずるのは簡単ですが、よく言われるこの結論は“半分正解で半分間違い”だと私は考えています。


なぜなら、本当にこの通りだったとしたら、最後のカイネの台詞と矛盾が生じるからです。


前述のようにカイネは「大切なモノをもらった気がする」と言いました。

もしニーアの存在が完全になかったことにされてカイネを含めた全ての人間の記憶から抹消されていたのだとしたら、このような発言をするでしょうか。

カイネはマモノ憑きであることが原因で故郷の人々から迫害され、唯一人としての愛情を向けてくれるのはオバアチャンしかいませんでした。

そんな自らにとって絶対的存在だったオバアチャンを失って絶望と復讐の感情のみが渦巻いている中で出会ったのがニーアです。

オバアチャンの仇を打ってあとは死ぬ以外に選択肢がなかったカイネに自分が生きる意味となるとニーアは言い切りました。

ニーアの言葉がカイネの人生にどれだけの影響を与えたのかは、“エミールを犠牲にしたことで絶望してるニーアを殴った後に彼に対して向けたどことない表情と気持ち”や“魔王と戦っている時のカイネのニーアへの誓いの言葉”などに如実に表れています。

文字通り、ニーアはカイネの全てだったのです。

自分の一生の全てを捧げると心に決めた人間だったからこそ、カイネには朧気ながらにニーアの残照が残っていたのです。

もしこの絆や愛とも言い難い複雑、だが美しい関係性が抜け落ちていたのだとしたら、月の涙を見て「大切なモノをもらった」と言うことは絶対に有り得ません。

裏を返せば、この関係性がカイネの中にニーアの命を授け、そして残す結果に繋げたということです。

確かにニーアは世界から滅んでしまいました。これは覆しようのない客観的事実です。

しかし、彼の名前や足跡、それら全てが作品世界のみならずゲームUIからも消え去ったとしても、ニーアという男の命はカイネに確実に受け継がれ(語弊あり)、そして彼女の中で生きていると言えましょう。

記憶の中にニーアはいなくても、感覚としては彼の存在を感じ取っているのです。

この辺りはEエンドにも繋がってくるのですが、今回の主題とは少し外れてくるので言及を控えます。

以上のことから、レプリカント及びゲシュタルトのDエンドでは“命の喪失と同時に命の残光を描いている”のです。


3.それらを踏まえたEエンドの意義とは

前置きが長くなりましたが、やっと本題に入ります。脱線しすぎた…。

これらも判断材料にしたうえで、オートマタのEエンドから一体何が読み取れるでしょうか。

結論から言うと、Eエンドでは“命の完成と誕生”を描いています。

知っての通り、ヨルハのアンドロイドは「月面に人類が生きている」という欺瞞を真実にするために造られた使い捨ての駒でした。

存在しない人類のために敵である機械生命体を壊して、ある時は自分たちが壊されて、そうしたらバックアップで復元されてまた壊して…。

このような実情を鑑みれば虚無としか言いようのない戦いを延々と繰り返していました。

キャッチコピーの一つである「命もないのに、殺し合う」は言うまでもなくここに由来しています。

というか、ヨルハにおけるバックアップという概念そのものがこのキャッチコピーに拍車を掛けてます。

しかし、バックドアが起動しバンカー諸共ヨルハ部隊が全滅した時を機に状況は大きく変わります。

バックアップの存在がなくなり、辛くも生き残った2Bと9Sに命という概念が物理的に芽生え始めてしまったのです。

故に、9Sは2Bを“殺した”A2に対してそれまで機械生命体に向けていたものは明らかに違う負の感情、即ち強烈な殺意を抱くようになります。

このように、9Sは正のみならず明確な負の感情に触れたことで人並み以上の感受性を確立したわけですが、他にもアンドロイドの情感が伺える場面は多数存在します。

例えば、2B。

言わずもがな、2Bはヨルハ計画の真相に近づいた者やヨルハを裏切った者の断罪人としての役割を担っていたわけですが、その過程で彼女は初めて心を許した9Sを前者の理由で幾度となく殺しては、その度に自己嫌悪していました。

9Sに限らず、同胞を殺すという行為に例外なく2Bが苦しめられていた事実は想像に難くありません。

だからなのか、2Bがウイルス汚染で自身の死を自覚した時は死への恐怖や覚悟というよりは、寧ろ安堵の感情が強いように思えます。


駆けつけた9Sを見た2Bも表情はどう見ても安らぎのものです。

この時の2Bは最期の瞬間に9Sに会えたことへの嬉しさの他に、二度と9Sをその手に掛けなくてもよいことへの安心感もあったのではないでしょうか。

以上の場面からも、2Bは誰よりも優しい感情を持ち、それが理由で人一倍苦しんだアンドロイドであることは目に見えて分かります。

A2にしたってそうです。

A2は正に感受性の塊のような存在です。

司令部側の都合で切り捨てられた彼女はレジスタンスの面々と日々を共にすることで楽しさや充実感といった感情を抱きながらも、仲間を失ったことと自分たちが見放されたこととその理由を知ったことで失望や憎悪という真逆の心情も生まれました。

この辺りはアニメ2期で分かりやすく描かれていたので視聴者にとっては記憶に新しいと思います。

仲間が全員死んで、最早生きる意味もないのにただ一人生き残ってしまったことへの絶望を胸に刻みながら機械生命体を壊しているのが本編のA2です。

しかし、最期に世界の美しさを知ったA2に絶望と復讐の念は何処にもなく、その表情と声は昔の明るかった嘗ての彼女そのものでした。

パスカルや9Sに向ける眼差しからも分かりますが、怒りや絶望がA2の胸中を占めていたとしても彼女の元来の優しさは消えておらず、寧ろだからこそ、A2は修羅に変わったと言えます。

それ程までにA2というアンドロイドは豊かな感情の持ち主なのです。


このように、アンドロイドたちは機械でありながら人間らしい、またはそれ以上の喜怒哀楽を感じながら各々の意志で行動してきました。

それは人類会議側が意図して多感になるように設計したからかもしれません。実際、作中でそう言われてます。

だとしても、2Bたちの心情をプログラムだからの一言で否定できるでしょうか。

2Bの苦しみは、9Sの哀しみは、A2の怒りは、本当に偽りのものだと言えるのでしょうか。

否、絶対に言えません。

たとえ、機械だったとしても彼女たちには命があったから、多くの想いが胸の中で錯綜させながら、間違いなく“生きていた”のです。

ポッド042は言いました。「彼女たちのパーソナルデータを削除したくない」と、「未来は与えられるものではなく獲得するものだ」と。

徹底して第三者の視点に立っていたポッドすらも2Bたちの想いと意志を無駄にしたくないと言いき切り、関わり合う内に彼らにも感情めいたものが生まれた、それ程までに彼女たちの命は紛れもなく本物で輝かしいものだったのです。


だからこそのEエンドです。


ポッドは2Bたちアンドロイドのヨルハ計画を否定するヨルハ計画完遂ためのデータ削除ではなく、2Bたちの一生を肯定するためのデータ削除を試みて、それを成功させるためにプレイヤーに協力を要請したのです。

プレイヤーがセーブデータ(本編に則った言い方をすればバックアップ) ―2Bたちの戦いの記憶― を削除することで、2Bたちの記憶であると同時に我々プレイヤーの記憶でもあったものが2Bたちだけのものになり、彼女たちの命の軌跡の完成を迎えました。

全てが終わり、ヨルハの宿命から解放された2Bと9S、A2をプレイヤー自身が見届けることで彼女たちは新たな命として誕生を果たしたのです。

この命の完成と共に新しく生まれたものを描いたオートマタは命の完全な喪失と共にそれでも世界に残ったものを描いたレプリカントと正に対照的な結末です。

寧ろレプリカントでそれを描いたからこそ、オートマタではその逆を行ったと言えましょう。

これはヨコオタロウが意図したものであると私は思っています。


この対比と2Bたちが勝ち得た未来の象徴こそがEエンドの最大の魅力ではないでしょうか。


4.おわり


如何だったでしょうか。

自分でもこじつけの域に達してる部分があることが否定できませんが、このような意味がEエンドには含まれていると私は信じています。

本当はポッドやパスカルやリリィのことなんかも詳しく触れたかったのですが、余計ややこしくなる気がしたのでやめました。
上手く纏められたら別の記事やら追記やらで書くかもしれません。

とりあえず、ここまで読んでくれて本当に、本当にありがとうございました。

また別の機会で会いましょう。


ここ本当に綺麗だよね。

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