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「私はこっちのほうが好き」で選ぶ
誰かに罪悪感を持たずに自分のことをやって、楽しんで、めぐりめぐって構造的に他の人が現実的に抱えてる負担を減らす一助になれるのがいいと思う。皆が罪悪感から我慢したり直接に助けようとしててもジリ貧だ。距離ゼロで寄り添うのではなく少し距離があるのが大事。溺れてる人にはビート板を投げる
罪悪感からの選択をやめる
わかってもらおうとするのをやめる
誰かに批判されたとする。それはおかしい、それは間違っている、こうしたほうがいい。正解不正解ではなく、それはその人が採用実践しているルール、形式であるはずなので、それを全部聞いてその通りにすれば、その人に近づける。相手をじっと見て、その人みたいになりたければ聞けばいい。
一周回って、正しい間違っているではなく、自分がそれが好きかそうなりたいかで決めるのはいいと思う。その人みたいになりたいのか。なりたくないなと思えば、ああ自分はこの人みたいにはなりたくないんだな、好みではないんだなと理解し、より自分を確立し、自覚を持って好みの方向へ進めばいい。
選択の全ては、
「私はこっちのほうが好きだ」で本当はいいんだと思う
私にはたぶん好きな人がいるけど、その記憶を超える人が現れるまではしっかり引きずり続けようと思う
しかたないね
全ての人に感覚があるので、身体が拒否したり喜んだりの反応が赤ちゃんの頃からあるので、どんな鬱や病人でもそれは絶対に消えはしないはずなので、それを信じて従うことさえできれば、その人自身を生きることができる。たぶんその人にとっての正しい選択ってそれくらい単純なことなんじゃないかな
私は、生きる中で、うまく嘘がつけないことに泣いて、嘘をついてしまったことに泣いて、いいことなしだった
後悔だらけ
でも、これからは嘘をつきたくないと決めて、必死に生きている自分にはマルをあげたい