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【雑記】イラストの勉強には終わりがないことに気付いた

本題に入る前に少し近況報告を。

●10月に入ってから、KUAイラストレーションコースの卒業制作が始まった。単位修得が間に合ったので自分も着手しており、想像より忙しいスケジュールを日々なんとかこなしている。
現時点では絵を描く時間より文章を書く時間の方が多く、絵を描けないフラストレーションに悶々としながら進めている。
企画書の提出が済んだので、来月からはようやく絵が描けるだろう。初めて描くものが沢山あるので無事終わるか心配だが、卒業しないと自由になれないのでここは堪えどころ。もう少しの辛抱だ。

●目測で物体の中心をとると結構ズレていることに気付いたので、毎日練習するようにしている。まずは目測で中心をとった後、モニターに定規を当てて正確な中心をチェックする方法だ。画像はPinterestで適当に選んでいるが、モチーフが偏らないようにまんべんなく試している。

●日々こなしているドローイングだが、ここ最近は少し工夫している。
まずは手を練習するようにした。POSEMANIACSのハンドビュワーを使い、細かいことは考えずにサッと描いてみる。手には苦手意識があるので、毎日こなすことで少しずつ慣れていく算段だ。
また、曲線の反復練習も取り入れた。3月から直線の反復練習は続けてきたが、曲線の反復練習をしていなかったことに気付いた。ドローイングだけでなく、普段の絵描きにも応用が効くと考えてコツコツこなしている。一応効果はあったようで、以前より思い通りの線が引けるようになった感触が見られる。短時間でできるのでこれも習慣化したいところ。

表。少し手を描いている
裏。描きたいように描いていて見づらい…(;’∀’)


前置きはこのくらいにして、本題に入る。




「絵描きの勉強には終わりがない」という話を、SNSでイラストレーターさんが呟いているのをたまに見かける。
呟きを見た当初はなるほど~とわかった気になったつもりでいたが、4年目の後半になった今、この言葉の意味がようやく身に染みてきた。
お絵描きの勉強、本当に終わりがない


●なぜそう感じたのか?

正直なところ、絵を描き始めた当初はある程度実力がついたら勉強しなくても良くなると思っていた。事務員として働いていた頃はやり方や計算法がある程度マニュアルで用意されていたし、一度手順を覚えてしまえばあとは同じことの繰り返しで済んだからだ。
資格勉強に関しても同様で、資格さえ取れればあとは勉強をする必要が無くてよかった(もちろん振り返りは必要だが)。
短距離走と似たような感覚でこなしていたと言えるだろう。一時的に勉強が辛くても、ゴールがはっきりしているので辛抱できた。

ただ、絵描きの練習は違うと感じる。勉強に終わりが見えない。
ゴールがスタート地点だった事例が非常に多いのだ。加えて、ゴールで達成感が得にくい。これが意外ときつい。

世の中にある多くの事柄は、辛いことと嬉しいことが大抵セットで用意されている。いわゆるアメと鞭。
仕事が辛くても続けられるのは給料という報酬があるからだし、ゲームがどれだけ難しくても続けられるのは、バランスよく報酬が用意されていることに加えて「ゲームをクリアした」というわかりやすい達成感があるからでもある。
わざわざ辛い思いをして登山をするのも、山頂の絶景と「登頂した」という達成感があるからだろう。

では、絵描きの勉強はどうか。
アメと鞭自体はある。慣れないうちの勉強は辛いが、絵を投稿して反応や支援が貰えたらそれが報酬になる(必ずあるとは限らないが)。たとえネットに投稿しなくても、自分が納得できればそれも報酬と言える。

問題はここからで、勉強をすればするほど、勉強しないといけないことが沢山見つかってしまう。「山頂だと思って登山したのに、着いたのが登山道入口だった」みたいな話で、クリアしたと思ったらまだ続きがあったことに気付かされる。

例えば解剖学。
基本的な骨格を勉強して「これで解剖学は完璧!」と思っても、次は筋肉がわからないことに気付く。再び勉強して筋肉を覚えたと思っても、次は骨格の可動域がわからないことに気付く。それも勉強して覚えても、今度はポーズごとの筋肉の伸縮具合がわからない…といった具合に延々と続いていく。それに加えて、覚えたことを忘れてしまえば覚え直しの手間も加わる。

やっと終わった、もう辛い思いをしなくていいんだ…と思ったところに、続きがあるとわかった時の徒労感は中々メンタルにくる。しかもその先もずっと霧に包まれており、もしかしたら無限に道が続いているかもしれない恐怖感が付きまとう。
それに加え、同様のケースが何度も続いてくると、次第にゴールしても達成感が薄れてくる。「どうせまだ続きがあるんでしょ…」と薄々理解しているので、ゴールすることに意味を感じにくくなっていく。

このように「全く勉強する必要がなくなること」や「絵だけ描けば済むようになること」をクリア条件とした、短距離走的な考えで勉強を始めるのは悪手と言える。何故ならほぼ不可能だから。
絵の勉強とは、人生をかけた永遠のマラソンなのだと自分は痛感した。

とはいえ、絵の勉強をしなくて済む「ゲームクリア」自体は存在する。ただし先述のゴールと同様に、どれも達成感を感じにくい

●絵描きの勉強における「ゲームクリア」とは?

自分が思いつくところでは3つある。1つ目は現状に満足して勉強をやめること
勉強したての頃は誰しも「もっと上手くなりたい!」と思うが、ある程度絵が描けるようになると今の実力に満足する時が訪れる。実際に自分も何度かこの状態になった。

ただこの場合、満足してしまったその瞬間に成長が止まってしまう。本人にやる気が無い限り現状の実力のままでいるか、衰退の道を辿ることになる。
過去の栄光にすがり続けている、インプットを一切せずにアウトプットばかりするようになった、辛いことはもう十分なので楽な道を選んだ……等々、理由はいくらでも考えられる。

あらかじめ言っておくが、これらの人々を咎めようとして取り上げたわけではない
家庭の事情や環境の変化もあれば、他にやるべきことができて優先度が低くなった可能性も十分考えられる。誰しもずっと絵描きの勉強をしていられるわけではないので。
あくまで絵描きの勉強における「ゲームクリア」の1つであることをご承知おきいただきたい。

2つ目は絵を描くことを諦める。文字通りの意味で、ギブアップでもある。
1つ目の理由と似たようなところがあるので割愛する。

そして3つ目は死ぬまで勉強し続けること。死をもって「ゲームクリア」となる。逆に言えば生きているうちにゴールすることはまずない
業界の最前線を走るイラストレーターの方々はこのタイプが多いと思う。現状に満足してしまえば成長は止まる。常に競争社会に身を置く人にとって、勉強を止めるのは創作者としての死に等しく、時代遅れ扱いされる可能性が高い
自ら進んで学んでいくのか、もしくは周囲に気圧されて学んでいくのかは人それぞれだが、いずれにせよ生きている限りずっと勉強を続けていくのがこのタイプだ。

ざっくり3つ取り上げたが、結局のところは「どこかで諦める」か「ずっと勉強し続ける」かの二択と言える。そしてそれを最終的に決断するのは自分しかいない
アスリートの進退と近しいものがある。現役続行か、引退かの二択。どちらの方が達成感があるかと聞かれても、正直言うとどちらも無い気がする。
絵の勉強をすればするほど、達成感とは無縁になっていく可能性が高い

●では、今後はどう活動していけばいいのか?

自分の場合、現時点ではもちろん死ぬまで勉強するつもりでいるが、数年先の事は全く読めないのであまり考えないことにしている。貯金が尽きれば働かないといけないし、周囲の環境だって変わっていくだろう。ある日戦争に巻き込まれるかもしれないし、明日目が覚めないかもしれない。

ただ一つ言えるのは、いちいち周囲の言動に振り回されてコロコロ方針を変えていたらとてもじゃないけどやっていられないということ。
最近のSNSで言えば、生成AIにまつわる論争が特に当てはまる。仮に今後生成AIが発展して絵を描く必要が無くなっても、誰かが「○○派の人には絵の依頼を頼まない」と主張していても、「まだ絵なんて描いてんのw」「絵描きとか今更時代遅れ」と言われたとしても、結局のところそれは他人の一意見に過ぎず、自分の活動には関係がない。
他人に振り回されない太い芯を1本、心の中に持っておくべきだ。それは絵を描き始めるきっかけでもいいし、子どもの頃に描いた絵でもいい。

余談だが、こうした負の情報は目や耳に入っただけで感情に影響を及ぼしてくる
選挙の街宣カーが大音量で何か主張すれば、例え内容が噓八百でもつい聞いてしまう。Twitterでバズっているデマや悪口を目にすれば、無意識に怒りや反論が沸いてくる。
『1984年』の二分間憎悪と同じ理屈だ。頭ではわかっているつもりでも、いつの間にか無意識レベルで何らかの影響を受けてしまう。

そんな現代において徹底すべきなのが、自衛。SNSではミュートやブロックによる情報のシャットアウトが大事になる。
ネットに主義主張が溢れている現在において、2ch時代に鉄則だったスルースキルはより重要になった

荒らしに限らず、万人に応用が効く

絵描きの勉強は続けつつ、負の情報はシャットアウトして自衛する。これが以前にも増して求められていると感じた。
なお、この行為は人によって「逃げ」のように受け取られるかもしれないが、会ったこともない赤の他人の主張に振り回されることほど無駄な時間はないし人生も長くないので気にしなくていい。

●まとめ

自分はニコニコ全盛期だった子どもの頃、「絵が描けるようになりたい」となんとなく、頭の片隅でぼんやりと夢見ていた。
こんなうすっぺらい動機でも、退職してから現在までの4年間勉強を続けてこられた。風船よりも軽い動機だが、自分のモチベの大黒柱を果たしてくれている

まわりが何を言おうと知ったこっちゃない。
こちとら絵が描けるようになりたくて勉強してるだけなんだから。

というわけで、自分にはまだまだ勉強することが沢山残っているので、何を言われようとしばらく止まる予定はない。
亀の歩みではあるが、今後も目の前にあるゴールを目指して一歩一歩進み続ける。



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