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#23 20240906『法華経の世界観での「死」』

2024年4月からスタートしている「渋谷でDeathラジオ」。放送の詳細やオンエアに載せきれなかったこぼれ話などをご紹介していきます。

#23 20240906『法華経の世界観での「死」』
ゲスト:
日蓮宗妙法寺 住職 久住謙昭さん http://myouhouji.jp
天台宗普賢寺 住職 小野常寛さん https://www.fugenji.com

◇今週のアーカイブはこちら


久住さんより自己紹介

・横浜市戸塚区にあります日蓮宗の妙法寺というお寺の住職
・Deathフェス 2024では、地獄VRのワークショップを開催

常寛さんより自己紹介

・東京都府中市にある普賢寺のお寺の住職
・国際的なお坊さんになりたいという夢を追いかけて歩んでいる
・Deathフェスが提唱する「よい死」に対し、死に良いも悪いもあるのかという根本的な投げかけをしてくださった方

■前半|法華経からみた死

お二人の出会いのきっかけ

・年齢的に言うと、久住さんのほうが10個くらい上
・未来の住職塾という、宗派を超えた住職やお坊さんの卵など、いろんな人が集まるお寺の経営塾で出会った

・常寛さん:まだ寺に入っていない坊さんの卵みたいな頃。久住さんは、ビジネスマンでもないのにパワーポイントを駆使しててすごいと思った。非常に多角的に経営、寺の経営を考えていて信仰心も熱く。こんなお坊さんがいるんだなという風に思ったのが初対面の印象

・久住さん:初対面はね、なんか尖ってんなと思った(笑)

・のぞみ:未来の住職塾に来る方自体も、新しい発想でとか、何か変革をとか、そういう思考の方が多いんですか。

・久住さん:今まではその宗派の常識や協会の常識など、そうじゃないんじゃないかといろいろ疑って、新しいことを始めてみようとか、そういうところを意欲的に求めてきてる人を総称して、「変態」みたいな言い方はしてるんですけども、意欲的な人が多かった

・常寛さん:加えて、今の寺院業界に危機感を持ってる人。寺をなんとかしなければいけないと寺の経営にいきつくが、やっぱり戻ってくるのは、自分の宗派の考え方とか、僧侶としての立ち位置とか、信仰心なので、1回、経営っていうところに広がるんですけど、根本的な教えの部分に戻ってく感じがした。

・結構どの宗派の寺も対峙してる問題は似ているので、そこで宗派の考え方とか、協会の違いっていうのはあまり出てこない。寺を良くするとか、経営をどうやってするかで、信頼関係ができ、この人だったらちゃんとお話ができるなっていう人たちと仲良くなっていく
・仏教的なもので人々を救いたいっていう、根本的に流れてるものは一緒のような感覚はある。

・常寛さん:最初の方は、お葬式のやり方どうしてるとか、檀家さんの制度はどうしてるとか、そういう話でしたね。その後、もっと本質的な話がしたいなと思った時があって、久住さんと一緒に違う塾みたいなのを立ち上げた。僕の師匠がいるんですけど、その人たちと一緒に話して、じゃあ、各宗派が考える幸福とは何かとか。 人は何かとか、そういうところで話ができるような塾をやっている

・久住さん:お寺イコールお葬式とかのイメージじゃなくて、仏教は亡くなった人のためにあるものではない。本来、生きてる人への仏教みたいなものに対して、もっとブラッシュアップしたいというか研鑽したいとか、みんなで壁を打ち合いながら、 今後の仏教、生きてる中での仏教はどうあるべきかみたいなものは、小野くんとキャッチボールしながら喋ってる時間はおもろいなって思う。

・常寛さん:まさにそうですね。久住さんは、お寺の改革をされるんですよ。既存のやり方とかを大胆に変えて、どういう風な関係性を作るかとかっていうのを、本当にお寺を通して大胆にやられて、実行力が非常に高いですね。
そこがめちゃくちゃ勉強になるとともに、でもそれって、ただこう、奇抜なアイデアのもとやってもうまくいかないし、持続的じゃないので、そこに信念とか、本来はどうあるべきなんだろうっていうところがないと、いい策にもならないと思うんで、そこら辺の根本的なもの、寺の役割ってなんだろうなとか、坊さんの役割ってなんだろうなとか、そういうところを本当に、さっきほどおっしゃってたように壁打ちさせていただくと、結構ポンポンとアイデアとともに実行が伴ってくる

・久住さん:すごい優しい後輩を持った、すごい褒めてくれて(笑)。実は仏教の話をできるお坊さんって、実はね、お坊さん同士でも少ないんですよ。 お互いの仏教の知識とか宗派の違いとかで 議論を交わしていくので、宗派が違うお坊さん同士で喋る時に大事なのは、どれだけ自分の宗派のことがわかってるかとか、非常に信念があるかとか。そうしないと、他の宗派のお坊さんと喋れないんですよね。だから、他の宗派のお坊さんと喋るとめちゃめちゃ勉強になったりするんですね。自分がわかってないところもわかってくるんで。

お2人の宗派では「死」をどのように捉えているのか

・常寛さん:天台宗と日蓮宗、宗派は違うんですけど。大事にしてる教典は法華経という教典なので、共通点もあるけども、お坊さんによってその解釈の仕方が違う。
・最澄上人も比叡山で学ばれてて、その法華経というものを、言ってしまえば、これが、これだけでやればもう全然事足りるんだっていうところで法華経の総体系を作られたんですけれども、ほかの教典も法華経的解釈ができると大切にするというところが天台宗の特徴的なところ。 なので、浄土宗とか浄土真宗というのは、阿弥陀さんが極楽浄土にいて、そこに導いてくださるという考え。その信仰も比叡山天台宗の中にあるというところで、「会通(えつう)」という。あんまり矛盾がないようにどうやって解釈していくかっていうことを先人たちはずっと積み上げてきた。
・法華経っていうのは、どうやって生きるか、この世界をどうやって極楽浄土にしていくか
・成仏国土っていう考えなので、ここの世界の浄土と、全く違う西の彼方にある浄土というのを一緒にしないといけない。死んだらこっちの世界じゃなくてあっちにいるから、全く違う世界ではなくて、そこは繋がってるんですよみたいな解釈。
・もちろん亡くなったら無に帰するってわけじゃなくて、この世界でもあり続けるし、この浄土というのを私たちは生きながらにしてそれを作っていかなきゃいけないんだという考え。
・僕の中では、縁起。あっちの方とこの世界は必ず繋がってるんで、亡くなってもなお私たちと同じ世界に実はいると。私たちもその世界に住んでるんだみたいな、そんな解釈を自分の中ではしている。なんで死してなおここにいるぞと。目をつぶればそこに浄土がある。死を捉えてますね。

・久住さん:「法華経と死」というテーマで考えたら、法華経のなかに、お釈迦様が出てきて、俺もうちょっとしたら死ぬから、俺死ぬんだけどここにいるよと。でも死ぬから、あとお前たち頑張れよみたいな感じのお経があるんですね。お釈迦様は死ぬんだけども、そうすると弟子たちがめっちゃ悲しむわけですよ。悲しんで悲しんで、でもいつまでも悲しんでいたらダメだから、お釈迦様がどういう教えを説いたか、もう1回 ちょっと振り返ってみようぜって思って、自分たちで自立して、悟りを得ていくっていうストーリーがあって、それが僕好きで。
・親が2人亡くなって、亡くなって初めて頼る人がいなくなって、自立して 自分で歩んでいくっていうことができたんで。悲しみがあって初めてあの弟子たちは悟りを得たんだっていう言葉が結構本当そうだなと思って。親父が亡くなり、母親も亡くなり、もういないけども、あとはその教えたことを元にして歩んでいきなさいっていうことが、お釈迦様の死っていうことなのではないかと最近思ってるんです。

■曲のリクエスト(常寛さんより) YAMABIKO / NakamuraEmi

<選曲理由>
歌詞をぜひ聞いていただきたいなと思うんですけれども。 自分がこう進んでいく道っていうのは山みたいなもんで、 一生懸命歩いていくと、自分が聞こえてくるのは自分の声だけ、呼吸だけ。そこにはいろんなこう、先人たちが落としていったガラスの破片とかそういうのがあるんですけども、それだけ進んでいくと、もう周りには誰もいなくなって、 自分の声だけ、それそれしか信じるものがなくなっていくみたいなところで、もうなんだ、修行僧であればめちゃくちゃ染み入る曲なんで、ぜひお聞きください。

■後半|久住さんから常寛さんへの質問

個人的に6月に自分の母を 託しまして、その時に本当にこう、悲しかったんですね。 父親も亡くしてるんですけども、母の母親の時はめちゃめちゃ悲しくて、涙が止まんなかったですね。日蓮商人も、お母さんをすごく思う人だったんですけども、 最澄さんはどんなふうにお母さんを思っていたのかというのをぜひ聞いてみたい

常寛さん:最澄さんのお母様は、最長さんをなかなか授からなかったので、比叡山の麓からちょっと登ったところにあるところまでお参りしていた。日吉大社の奥の方。 7日間お参りして、なんとか授かったみたいなところがあって、それが神様に対するお礼みたいなところもあったと。
・当時、平安時代の山という概念は、神とか鬼とかが住む場所で、なかなか人間が行く場所ではなかったし、女性は当然入らない場所。今でも、女人禁制が引かれてるところはたくさんある。比叡山もやはりそう女人が入れないという礼法で、お母さんといえども伺うことすらできなかった。
・ここまでなら結界外ですよと いうところが未だに残っていて、そこまで行って、なんとか最澄さんのために花を摘んで、花摘堂っていうところが残ってるんですけどっていうぐらい。最澄さんはお母さんのために刻んだ観音さんがあるくらい大好きだった。
・最澄さんのお母さんである明徳さんは、その仏像を本尊として、毎日それを祈ってると。仏像を介して、親子の愛情を確かめ合ってた。
・お母さんが亡くなられたら、延暦寺で100人のお坊さんを集めて供養し、相当な思いでお母様のことを偲んだ。
・お母さんがいらっしゃった念仏寺に阿弥陀如来があって、そこを延暦寺の境内だという風にしちゃったんです、お母さんに対しての思いがあって、女人禁制だったので、そこを比叡山だというふうに思うぐらい、自分は母と共に会えるぞという、そういう気持ちですね。

久住さん:どんだけ高尚とはいえ、お母様への亡くなった人への思いってのは強いんだなと思ってですね。最澄さんですらこんだけ悲しんでるんだからこそ、自分は大丈夫なんだなっていう納得感に繋がるわけですよ。

のぞみ:今日、私たち味わってばっかりでしたが、すごくよいお話をたくさん聞けてよかった。
・お葬式とかの場面でしかね、なかなか仏教に触れる機会がなかったりするので、関わってる皆さんがどういう風な思いで、お寺だったり、宗派のこと考えられてるか とか、ご家族との関係の中で、そういう教えなりを、どう染み込ませてるのか、みたいのがわかって、すごく私たちとしては、とても良い会だったなと思ってます。
・また折々にお招きさせていただきますので、引き続きよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

■番組へのお便り

こちらの記事をご参考にどうぞ。

https://note.com/deathfes/n/n930fe6d4a36d

★★すべてのアーカイブはこちら!

https://note.com/shiburadi/m/m458e51f0078b





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