死を受け入れるまで~第一部~
9月24日朝、母からメッセージが来た。
「救急搬送されました。血圧40で○○病院に来ました!」
緊急搬送されたのは、母方の祖母である。
祖父は3年前に他界し、母がキーパーソンであった。
たまたま、その日は当直明けであったので、すぐに母に電話して状況を確認した。
すると、延命治療をするか聞かれたと…
母は、泣き声で
「しんどい想いをさせてまで生かせたくない」
と言っていた。
ただ、この時確認された延命治療とは
・人工呼吸器
・心臓マッサージ
その他の延命治療は確認しないのか?となったが、
緊急搬送された限り、救命医は一命を取り留める使命がある。
ふとここで、9月24日は当直明けで翌日も休みの僕は東京から実家のある大阪に戻るべきかどうかを悩んだ。
もしかしたら、このまま亡くなるかも。
もしかしたら、一命を取り留めて長生きするかも。
交通費も安くはない。
一命を取り留めても、また危うくなるかもしれない。
帰省するのか?
帰省はせず様子を見るのか?
どっちの選択が、正解かは正直分からない。
何度も東京と大阪の往復になるかもしれない。
東京に帰った日に、また大阪に戻る可能性もある。
有難いことに、金銭的な心配はなかった。
貯蓄していてよかった。
この時点で、
僕の中では後悔しない行動とは何か?
ということだけを考えれば良かった。
答えはとても簡単だった。
今すぐ帰省しよう!
9月24日と25日はすでに多くの予定が入っていたが、全てキャンセルして、もう後悔したくないとの想いと共に帰省を急いだ。
「もう後悔したくない」
少しさかのぼる。
2年前の10月1日に祖父を亡くした。
祖父は施設での看取りを希望した。
そして、ゆっくりと最期を迎えようとしていた。
看取りと決めてからも良く話をしていたそうだ。
しかし、9月31日に祖父の血圧が下がった。
しかし、家族からはあと数日持ちそうだから、あわてて帰ってこず、数日後の連休に合わせて戻っておいでと言われた。
目の前に、祖父がいる訳ではないので、その言葉を信じ、帰省を見送った。
そして、帰省しなかった翌日未明に祖父が亡くなった。
もし、迷わず帰省していれば…
最期に、何か話せたかもしれないのに…
後悔しないように、帰省の度、顔を見せるようにしていた。
しかし、一番最期は自分の判断ミスで機会を失ったことは
今でもどこか心残りであり、胸に何かつっかえる想いがある。
このような経験からの、
「もう後悔したくない。」
祖母の話に戻すが、祖父のように綺麗な看取りができるかどうかかなり難しい状況だった。
一方で、僕は医療に携わる者であり、プライベートでは過剰な医療は控えて、看取りやACPが大切だと伺う機会が多く、僕とそして母が後悔しない祖母の看取りを導きたいというとてつもないお節介な思いが生まれていた。
と格好いい言葉を並べているが、実はかなり取り乱していた。
延命をしてでも祖母には生きているうちに会いたい
と家族に言って困らせていた。
(自分が思っている以上に祖父に会えなかったことを引きずっているみたいだった)
僕がこんなことを言うもんだから、
救急対応してくれた医師が、電話で状況を説明してくれた。
救急搬送時は、血圧が触れていなかった。
エコーで下大静脈が見えない状況だった。
左心室、左心房がぺっちゃんこだった。
輸液を2000mL、ノルアドレナリンを1γで投与している。
おそらく、尿路感染からの敗血症ショックである。
抗生剤(ゾシン®)の投与も開始した。
かなり詳しく状況と対応を説明してくれた。
薬剤師にとって分かりやすく、そして必要な医療情報を加えて
ただ、最後に一言付け加えられたのが・・・
この状況で、心臓マッサージや人工呼吸器を選択すると、おばあ様にとって辛い思いをさせるだけですよ。
このあと、救急搬送された病院からいつも入院している市民病院へ転院となった。
(転院できたのは、人工呼吸を望まないのであれば受け入れ可能とのことだったそうだ)
転院後、リウマチでお世話になっている医師が毎度のように受け持ってくれる。
その医師より、昇圧剤まで使って救命するのは珍しいと言われたそうだ。
ただ、血圧が下がっている人間が、救急搬送されれば当然やるでしょ
と僕は思ったのだが、実はこの行為一つも延命治療だったのだと、この言葉を機に考えるようになった。
敗血症の治療も延命治療と言われれば、否定はできない。
あのとき聞かれた、
「延命治療はどうするか?」
の答えはいったいどう答えればよかったのか?
人工呼吸器は付けない、心臓マッサージはしない
もし、これ以上の治療は望まないって言われたら、医療者はどうしたらいいのか?
今回の延命治療に関しての家族としての返答は、
できる限りの治療は施してほしいけど、人工呼吸器や心臓マッサージまではやらなくていいよ。
その結果、9月24日に緊急搬送され、10月18日まで生きた。
なので、結果としてはとても良さげな答えとなったが、延命治療に関しては正しい答えだったかは分からない。
祖母が望む答えだったのかは、これからもきっと悩むでしょ。
祖母が元気な時にしっかりと意思を確認しておくべきだったと思うが・・・
ただ一つ言えることがあるなら、9月24日に亡くなっていたら、僕や母をはじめ、家族、そして親戚が死を受け入れるまでにどれくらいの時間がかかったか分からない。
だから、今回は上記の判断でよかったと思いたい。
第二部へと続く
第一部を最後まで読んでいただきありがとうございます。
先日の台風15号及び19号で甚大な被害を受けた皆様にはお見舞い申し上げます。一刻も早い復興をお祈りいたします。
現在、私事で現地に伺う余裕はありませんが、この記事を読んで何か感じる方がいれば、形式上有料記事にしています。(無料でも全て読めます)
私の手元に入る分は全て被災地支援に使用させていただきます。
つたない文章ですが、共感して下さった方は宜しくお願い申し上げます。