死を受け入れるまで~第二部~
第一部では、緊急搬送から祖母に施した延命治療などを記載した。
第二部では、9月24日から10月17日まで長くて短い入院生活と僕や母、父の想いの移り変わりを時系列に沿っておっていきたい。
9月24日~25日は、収縮期血圧が昇圧剤を投与しても、100を越えなかった。
2、3日が山だと言われた。
ただ、僕は少しずつ上昇する血圧と、酸素流量が3Lから2L、帰る間際には1Lと減っており、2、3日で亡くなることは無い!
となぜか確信でき、東京へと戻った。
家族は代わる代わる夜通し付き添いながら、バイタルの写真を家族のグループLINEに投稿していました。
既往歴にリウマチのある祖母はステロイドを長年投与しており、免疫力が相当落ちていたと思われる。
敗血症からのショックで、入院3日目頃からヘルペスが口腔内の大半を占拠し、痛々しくなってしまった。
経口摂取できないので、維持液の点滴、そして敗血症治療の抗生物質、ヘルペス治療の抗ウイルス薬の投与が始まった。
状態が安定してからは、長期戦になるのも見越して、夜間の付き添いはしなくなった。
前日より、ほんの数ミリ程度かもしれないが、良くなってると思い、奇跡的な復活も時には考えてしまうときが母にはあったようにも思えた。
一方、父は冷静にどんな状況が起きても動じない思いでいたように思う。
そして、急性期病院への入院ならではの問題に直面することとなる。
医療行為が落ち着けば、急性期病院から出なくては行けなくなる。
じゃあ、この後はどうするの?
病院内の医療ソーシャルワーカー(MSW)との面談だ。
そこで言われた衝撃な言葉がある。
この状態だと、療養の病院しか行く先がないです。
施設には絶対戻れません。
僕はこの言葉を母から聞いて、激怒しました。
元いた施設に確認したのか?って聞くと
聞いていないと!!?
とりあえず、ダメ元でも良いから聞いてほしいと言いました。
たまたま、その日担当していた看護師さんにも背中を押され、母は元いた施設の責任者に確認しました。
ちなみに、
ことぶき(元いた施設の名前)に戻りたいか?
との母の声掛けに祖母は首を縦に振ったそうです。
責任者の方からは、
難しい状況だけに今すぐ返事はできないが、前向きに検討させて下さい。
との返事だったそうです!
僕はこの施設には絶大な信頼をしている。
祖父をしっかり看取ってくれたのは、本当に大きな出来事であった。
転院になるのか?
施設に帰られるのか?
療養型病院との面談を前に事態は大きく動き出した。
入院生活も2週間経ったころから、点滴のルートが取りにくくなっていた。
(先ほど記述したが、長年のステロイド投与により、血管がもろくなっていたのではないかと思う。)
ついに、10月11日大きな決断をします。
点滴を止めよう。
※ステロイド投与に関してネガティブな発言が多いが、この発言以上にリウマチ治療におけるステロイドの恩恵は計り知れないです。
20年弱ほど前になるが、かなりの痛みでADLが下がっていた祖母にとってはステロイド投与とエンブレルという抗体製剤のお陰でかなりのADLが改善し、とても充実した日々を送ることができました。もしステロイド投与をせずに長生きできても辛かったと思います。薬にはメリットとベネフィットがあります。祖母にとっては晩年の感染症による入退院は辛かったかもしれないが、メリットの方が遥かに大きかったと思う。
第三部へと続く
第二部を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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