暴力の神とキリスト教の暴力
刑罰代償説が歴史的に与えたインパクトはどう言ったものがあるでしょうか?
この暴力的な説は様々な要因をキリスト教文化圏に与えました。そのうち最も影響を与えたのは暴力の過激化かもしれません。今日は、キリスト教社会において暴力がエスカレートした2つの時代を見てみましょう。
①キリスト教界においての暴力の神の容認(4世紀)
②十字架論における暴力の神の定説化(11世紀、16世紀)
①キリスト教界においての暴力の神の容認(4世紀)
遡ること4世紀、キリスト教界で大きな方向転換が起こります。それはなんと、ローマ皇帝であるコンスタンティヌスがキリスト教を国教として認めました。3世紀までキリスト教徒を苦しめ、幾人ものキリスト教徒を虐殺していたローマ帝国が大きな舵を切ったのです。
この事件は、神学にも影響を与えます。なぜならそれまで暴力の被害者であったキリスト教徒たちは、ローマ国教の代表とならなければなりませんでした。国教となるということはコンスタンティヌスが行なっている戦争などの意味づけを求められます。そこで、神は暴力を望んでいるのか、、いないのか、、という選択肢を迫られることとなりました。
Jesus Driven Lifeという本でこのことは論じられている。
「コンスタンティヌスの即位からの100年の間、他のクリスチャンの手によって殺されたクリスチャンの数は、それ以前の250年の間に帝国の手で殺されたクリスチャンの数を上回る。
この一世紀の間に、何がそこまでキリスト教神学の構造を揺るがすほどの変化を生んだのか?簡単に言うと、教会は帝国に屈したのだ。帝国への降伏だ。迫害に遭うこと、部外者として扱われることにもうこりごりで、疲弊し切っていたのだ。コンスタンティヌスがあの幻を見た時、司教たちが喜んだのは自然なことだった。殉教者として殺される日々はもう終わったのだ。」
(Jesus Driven Life p125)
4世紀ではすでに、暴力を肯定するキリスト教神学が確立されつつありました。
②十字架論における暴力の神の定説化(11世紀、16世紀)
刑罰代償説の元となる、満足説という説があります。これは、11世紀にアンセルムスという神学者が提唱しました。
彼が提唱した満足説を簡単にまとめると、以下のような「暴力の神」を作りました。
「イエスキリストの死が神の正義を満足させた」
刑罰代償説の教えの柱として「神の義」と呼ばられるものがあります。神の義とは「罪人を殺さなくてはならない神」、「罪人を殺す神の正義」と言えます。アンセルムスの説には、天の父がイエスを罰したというまでのニュアンスはありません。しかし、アンセルムス以降、神は善なる存在なので悪を殺さないといけないというニュアンスが植え付けられます。そしてそれが完成されるのは、刑罰代償説ができた16世紀です。
片野淳彦は「キリスト教における平和の思想と課題」においてこのように記しています。
「刑罰代償説では罪を罰する暴力が、・・・・神の愛を示すために独り子を殺させる暴力が、賞賛こそされないものの必要とされている。イエスが殺された時、あるいは殺されたが故に、罪ある人間の救いという《善いこと》が実現した。ここから派生すると考えられる二つの思想が指摘で きるだろう。一つはウォルター・ウィンクが「贖罪的暴力の神話(the myth of redemptive violence)」とよぶ思想であり、もう一つは正義の実現を適切 な処罰に求める応報的正義(retributive justice)の 思想である。」
聖書において、「神の義」とはキリストです。キリストとは罪人に手を差し伸べ、病のものを癒し、右の頬を殴られても、左の頬を差し出した神です。暴力に対して非暴力で戦った神です。その姿を「神の義」とパウロは語りました。そして、非暴力の戦いを繰り広げた3世紀までのキリスト教徒はまさにキリストが神の表れであると信じていました。
アンソニー・バーレット博士は、アンセルムスの説が11世紀に登場して以来、キリスト教徒の暴力はエスカレートし始めたことを彼の本の中で述べています。
そして16世紀以降、懲罰的な神を描いたキリスト教社会は血の絶えない争いが加速されていきます。
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