赤ひげ先生17
大きな病院や施設の院内感染が新聞沙汰になることがある。 目に見えない細菌やウイルスをシャットアウトするのは簡単では無い。
その頃O157が流行って、赤ひげ病院でも防ぎ用が無いのではと心配していたら現実になった。
病院の厨房のおばちゃんが熱があるという。
委託会社に連絡しても代わりの人がいないと、
とりあえず昼ご飯を作って帰って行った。
それを食べた患者さんと看護婦さんの数名が翌日から発熱、どうやらO157のようだった。
というのもその検査をしなかったのだ。
「え⁉︎ やらなくていいんですか?」と聞いたら、「検査結果が出るまでに治っちまう、やるだけ無駄だ。O157だからと言って特別の薬があるわけじゃなし、やれる治療をやるしか無いんだ。」と赤ひげは言う。 先生が言った通りに高齢者のご婦人二人も抗生剤の点滴などで無事に熱が下がったし、看護士さんも数日休んで投薬だけで回復して、新聞記者が乗り込んでくることも無かった。
今回のコロナ騒ぎは赤ひげ病院でも対応に追われた。 とにかく朝から電話が鳴り止まない。
通常の診療と別に時間を設けて、防護服を来て看護士か検査士と二人で駐車場の車の中で抗体検査をするが、受け取った診察料はお金は元々不潔だからとレジに入れる。
厚生者や保健所からの指導に従って防護の基準を決めても、どこまでやればいいのかは先生に任されていた。 何が正しいのか、あの時は病院ごとに違っていた。
赤ひげ先生はいつものやり方で清潔不潔の線を引いて診療を続けていたが、結果として病院で感染拡大は起こら無かった。
今でもあのパニックは何だったのかわからない。
世界中が止まってしまって、あの澁谷のスクランブル交差点にも人っこ一人いないなんて、まるで空想映画のようだった。
ワクチンだって打つ派と打たない派に分かれて過激な論争が巻き起こり、まるで江戸時代の踏み絵のように私達一人ひとりに突きつけられた。
私も心ならず二回までは受けたが、みんなが一斉に動く方向が正しいとは思っていない。
それを教えてくれたのは私の祖母であり、赤ひげ先生だった。
祖母のこともいつか書きたいと思っている。
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