赤ひげ先生2
その頃ぼちぼち電子カルテなるものが出初めて、大病院では患者よりパソコン画面を見て診察する医者が増えていった時期だったと思う。
院長は「電子カルテでレセプトも自動になったらお前らの仕事がなくなるだろ」なんて言いながら相変わらずドイツ語で書いた手書きのカルテが受付に回ってくる。 しかもそのドイツ語自体が判読困難な文字なので、主な病名や医療用語を日本語と横並びにしたアンチョコと首っ引きで入力することになるのだ。
院長はスタッフには厳しかったが、患者さんには親切だ。 患者さんに向き直り顔を見ながら
「今日はどうした? 嫁さんは相変わらずか?」なんてちゃんとコミュニケーションをとる。
お年寄りの長話を聞きながら様子を確認したら、
「よし、今日は3カ月ぶりに血液検査しとこうな」と看護師さんに目で採血を指図すると、その間に隣の診察室に移動し次の患者を診る。
一診ニ診を間断なく往復するうちに廊下に溢れていた患者さん達が1時間もすればまばらになってくると、合間に胃カメラやCTなどの検査から午後には手術をこなしていく。
頭の中にあるタイムスケジュールに従って一連隊が整然と分刻みで動くのが院長の生きがいのようだった。 今さらながら陰で文句を言いながらも、みんなよく院長に付いていったと思う。
パワハラも誰にされるかで違うのか、いつのまにかそのテンポの良さに巻き込まれていたのかもしれない。
その頃看護婦さん達は「野戦病院よ」言っていたが、いまだ注射のシリンダーはディスポーザブルでは無くガラス製。 「こっちの方が血管壁を刺した時の感覚がわかるんだ。医療廃棄物も出ないしな」というのが院長の持論だが、毎日注射針や薬剤ケースだけでもたまっていく量を見れば確かにサスティナブルと言えた。
下ガーゼと呼ばれた滅菌前の傷の手当てに使うのも手術に使った後洗って滅菌したものを使う。
一時が万事がそんな感じでスタッフはケチだとか言ってたけど、私は院長のやり方に納得できた。
一カ月の電気、ガス、水道代だけでもすごい金額 (ポストに入ってた請求書にのけぞった) だし、数千万?のCTや胃カメラなど医療機材購入の銀行ローンの返済、医療材料や薬剤、そしてスタッフの給料を賄うのに、保険者への医療費請求額を知っていれば無理からぬところだと思っていた。
周りが思ってるほど病院経営は楽では無いのだ。