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マリア様はご機嫌ナナメ 3 帝塚山万代池
1973(昭和48)年、僕は高校生になっていた、学校にも少し慣れたある日のことである。
僕は学校の部活動に入っていない。世間では「帰宅部」と言われている。部活動で汗を流し、溌溂たる青春を過ごす。結構なことだが、こっちにはこっちの事情があるのだ。僕は中学生のころ野球部に入りたかった。しかし、家が貧乏なのでそれが果たせなかった。
その日は気晴らしをしようと思い、学校近くの、阪堺電気鉄道上町線の「北畠」から「住吉」行きのチンチン電車に乗った。その路線はもと熊野街道上をゆっくり走る併用軌道となっている。電車の左右を車が器用に行き過ぎる。警笛が鐘の音で、「チンチン」と響くので、僕らはチンチン電車とか「チン電」と呼んでいた。上町線に揺られて小学校時代からよく遊びに行っていた万代池(まんだいいけ、ばんだいいけ)のある帝塚山へ行った。
万代池はは大阪市住吉区の帝塚山にある、周囲一キロにも満たな小さな池で、周りは砂利道であるが、遊歩道になってる。遊歩道のの周りに桜の木が植えられて春の季節には結構見事に咲き誇る。遊歩道は周辺に住む人たちの格好の散歩道だった。真ん中に小さな島があって、その島に向って両端から石でできた橋が架かっている。小学校の頃、ここでよく遊んだものだった。
とりあえず遊歩道を一周してきた僕はベンチに座り休んでいた。そこに中型の犬を散歩させてゆっくり歩いてくる少女が来て、やがて僕の前に立ち止まった。後で判ったのだが、彼女の連れている犬はシェットランド・シープドッグといって、パッと見た目は幼いころテレビで放送されてた吹き替えぼ海外映画の「名犬ラッシー」に似ていた。
その少女は髪がくせ毛でクルクルカールしていた。ふっくらした丸顔、大きな二重の目、小さな口、ほんとに愛くるしい、まるでお人形さんのような少女だった。白地にブルーの少し大き目の水玉模様を散りばめたワンピースが眩しかった。
僕はといえば、学校帰りだから、白い夏の半袖開襟シャツに黒の学生ズボン。まったくもって冴えない格好だ。
初夏とまちがうような遅い四月の日だった。
その中型の犬は、結構怖い顔をしていた。こちらにむけて最初は牙をむき、やがて舌を出してハアハアと喘いでいた。そりゃそうだ、初夏と言っても良い季節だ、この暑さだに、全身に毛を纏った彼はさぞかし苦しいのだろう。
僕はその犬の目をじっと見ていた。イカツい顔をしていたが、僕がニコッと笑うと、彼は突然僕の脚に鼻をなすりつけてクンクンとやりだした。少女は慌てて手綱を引いたけど、その犬は足を踏ん張り、さらに前へ進んで僕の股間へ顔を埋めてきた。前脚を僕の太腿にかけて、顔を近づけてくる。
「ごめんなさい」
少女は困った顔で言った。続けて、
「これ、プーちゃん駄目よ!」
その時にはもう彼は僕の顔を、舌でなめまくりっていた。そしてそれがとてもくすぐったかった。どうやら彼の名前は「プー」のようだ。
「普段は知らない人には絶対に近づかないのに、どうしたんでしょう」
「大丈夫ですよ、僕も犬は大好きですから」
僕は申し訳なさそうな表情の少女にそう答えた。
「犬、飼ってらっしゃるのですか」
少女の話し方はとても上品で、むしろそっちの方に僕はびっくりしたくらいだ。
「二年ほど前まで飼ってたんですよ、こんな立派な犬ではありませんでした。雑種の犬だったんですけどね。可愛い奴でしたよ」
僕は飼ってた犬のことを思い出した。一人っ子の僕は母が働きに行っている昼間、話し相手が居なかった。あれは小学校の四年生の頃だった。住之江公園と言って競艇場で有名な場所の近くの公園へ朝早く遊びに行った時の事だった。コンクリート山のトンネルに捨てられた仔犬を拾って帰った。母は渋い顔をしたけど結局、家で飼うこと許してくれた。そして僕の淋しい日々は終わった。
「やっぱり」
彼女はニコニコ笑って言った。どうやら合点がいったようだ。
「よくここにいらっしゃるの?」
何と上品な話し方だろう。僕の育った下町でこんな言葉遣いをしたら間違いなく張り倒される。
いえ、今日はたまたまでございます」
とわざと、ちょっとからかったような答え方をした。
彼女は「ウフフ」と笑った。
「高校生ですか」
僕の服装を見て彼女は言ったのだろう、
彼女は遠慮無くズバッと訊いてくる。
僕は通っている高校の名前を告げた。
「へ~、お勉強出来るんですね」
彼女は屈託なくそう言う。
そんなセリフを初対面の異性に対して普通にサラッと言えるなんて、やっぱり育ちが違うのだな。それとも、世間知らずで何も考えていないのかかな。
僕の進学した府立の普通科高校は飛び切り優秀でもなかったし、僕は勉強が出来るとも思っていなかった。でもやっぱり面と向って「勉強できるんですね」なんて言われるとちょっとくすぐったかった。
「よかったら、お友達になってくださる」
また、大胆な発言だ。彼女は自分の言っていることの意味をよく分かっているのかな。要するに、僕の使う下町言葉で言うと「こいつアホか」であるが、もちろん、そんなことは言えなかった。
「わたくし、いつもこのくらいの時間にプーちゃんを散歩させてるの」
よし、こいつをもっと笑わしてやろう。
「それはそれはお嬢様、光栄でございます」
彼女はぷっと吹き出した。よしよし、少しこちらのペースになった。
そのあと、彼女は自分は帝塚山に生まれ育って、帝塚山にある私立中学高校の一貫校に通っていると語った。公立高校の男子生徒がその学生服姿を見て心をときめかせ、中には良からぬ妄想に耽る輩もいた。どうりで、と僕は思いベンチを立った。ながいしていると、どうもこっちのペースが狂ってしまう。
「それじゃ、さようなら」
僕はワザとぶっきら棒な言葉で言って万代池を後にした。
山の手のお嬢さんと下町のどこの馬の骨とも分からない小僧がお友達になれる道理はない。ましてや、それ以上などは・・・・
「でも、かわいい娘やったな」
なんだか変な気分になってきた、
「やれやれ、俺も妄想組か」
その後、僕は春から始めた本屋のアルバイトに向った。