書評「善の研究」「日本哲学入門」

先にお断りしておきます。
僕はこの2冊、読んでおりません。
そして、2作とも、著者の事を、詳しく存じあげておりません。
更に言えば、僕は、学者でもなんでもなく、ただの一般市民です。
正直、否定、非難です。
中身も見ていないのに。
そうです。
中身も見ていないのにです。
何故、そんな事をやろうとするのか?
何故か?
この2冊が扱っているもの、それは哲学だからです。
哲学を扱っているにも関わらず、それぞれに権威もある方々であるにも関わらず、
タイトルの
「善の研究」
「日本哲学入門」
馬鹿げているだろう、そう思ったので、それを論じてみたいと思いました。

「善の研究」
これの何が馬鹿げているのか?
善だけをクローズアップするところが、最早、哲学ではないですよね
これは、研究とするだけに、長く、論文になっているのですかね
その長さが現すもの
それは、思考の行き止まりなんですよ
だから、堂々巡りで、いつまでも結論が出ずに、ダラダラと長くなるんです
殊更に、善を強調するのは何故か
著者自身が善人でありたいとする、その思いが反映されたものです
もしかしたら、中を読んでないのでわかりませんが、読者にわかりやすく、そのようなタイトルをつけただけで、著者自身は何も表明していないのかもしれませんが
さりとて、同じことです
僕なら、それなら、そのタイトルは拒否します

「日本哲学入門」
これは、もっと、愚かしいと思います。
哲学とは、徹頭徹尾、固有名詞を排したところで行う思索です
なのに、何故、タイトルに、固有名詞である、日本、なる言葉をつけるのか
理解に苦しみます
先へ先へと進めば、そこには、平和への鍵となるような思想もあるはずなのに
そこを無視して、気軽に、タイトルに、日本とつけてしまう、その神経
疑います
何もわかっていないだろうと
何がいけないのか
日本
ここから思い浮かべるのは何ですか?
日本なんです
駄目なんですよ、哲学において、固有名詞を用いては
何故か
それでは、個の思いに繋がる思索に繋がらないからです
何よりね、愛国心に繋がります
そして、その愛国心は、ナショナリズムにも繋がります
それは、争いにも繋がるんですよ
哲学者が、その事がわからないのかと、そう思うわけです

以上のような理由から、タイトルから、もう、読む気は失せました。

哲学ってなんですか?

祖とされるソクラテス以降の哲学ってなんなんだろう、そんなふうに思います

#創作大賞2024

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