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おねショタが楽しめない!! 3話
ドタバタと一階へ降りて、リビングの隣、キッチンに立つ。
冷蔵庫の上段から卵とバター。そしてケチャップ。
最後に隠し味のヤバい粉——味の素——を取り出す。
ついでに、冷凍庫からタッパに凍った白米。
レンジで白米を解凍。
フライパンにバターの立方体を二つ入れて、白米を落とす。
白米を塗りつぶすケチャップ、少々の味の素をかけていく。
玉ねぎもにんじんもないけれど、買いに行く時間もない。
あっという間にケチャの素ライスが完成した。
続いてボウルに計四つのたまごを溶いて、再び味の素を振りかける。
フライパンに、溶いたたまごの半分を入れて中火で加熱していく。
たまごがパチパチとした音をたてて半熟状になる。空腹で舌の付け根がむず痒くなる。
火からフライパンを外して、トントンと上下に動かす。
ケチャの素ライスの中央へ、楕円形に整えた玉子を乗せる。
パンの奥から手前へ卵を被せていく。形が崩れないように、バランスのとれた力で、一気にやるのが重要だ。
ちんたらとしていたら形が崩れることを、長年の独り暮らしが教えてくれた。
息を大きく吸って、呼吸止める。
一瞬で逆も同じようにライスに黄色い布団をそっとかけてやる。
こうやって人にご飯をつくるのは何年振りだろう。
父が帰ってきたのが三年前だから、それ以来かもしれない。
自然と頬が緩む。
完成した二つのオムライスに、柊人は鼻の穴を大きくした。
上手くいくと、途端にこだわりが強くなるものだ。
中央が窪んだ円形皿にオムライスを落して、スプーンを添える。
お盆に料理を乗せて二階へ、大げさに登っていった。
柊人は手でメガホンを作り、立てこもり犯に告げる。
「姉さんは包囲されている。今すぐ出てきなさい」
「無駄だよ。諦めて」
「こちらにはオムライスがいる。人質交換をしようじゃないか」
「……んん」
「一緒にオムりましょうよ」
真奈美に掬う腹の虫が鳴った。
我が家の天照大御神はオムりに弱いらしい。
「昨日からなにも食べてないですよね」
「なんでそんなことわかるの」
あまりにもむっとした声だったから柊人は笑ってしまった。
「だって冷蔵庫もなにも漁ってないでしょ?」
「一〇年独り暮らしなんです。なにがどこにあるかは把握してます」
「……そう」
「でもいまは姉さんがいます」
おねショタアレルギーになったのだとしても、真奈美は真奈美だ。
柊人が変わったからといって、真奈美のなにかが変わるわけじゃない。
「そんなこといっても、私、人間アレルギーだし。そもそも君の家だし」
「なにか関係ありますか?」
「え……?」
「アレルギーなんて、誰にもありますよ」
「君に迷惑かけるかもだから」
「おれたち、もう家族じゃないですか」
オムライスが冷めるのも時間の問題だ。
柊人は胸を張って言った。
「一緒に食べてくれませんか?」
ガチャリ。
中からオレンジ色の巨影がのぞいた。
相変わらずガスマスクはしていたのが、らしかった。
けれど、殺気はすっかり立ち消えていた。
「……おかえり」
目つきが悪いだけなのだ。
半月型のジトッとした目は攻撃的だけど、これはこれでアリだ。
真奈美は身体の前で指をもじもじといじった。
「久しぶり、姉さん」
「久しぶりってほどでもないと思うけど」
「じゃあ、昨日ぶり?」
「うん……昨日ぶり」
真奈美と一瞬だけ目が合う。
でもおねショタアレルギーは発症しない。
治ったのか……?
彼女はわざとらしく視線を外し、「あまりこっち、みないで」と言った。
真奈美がこれほど狼狽しているのが珍しくて、お盆を落としそうになる。
柊人よりも背が大きいのに、小動物然とした振る舞いが可愛い。
可愛すぎて腹が立ってくる。
むずむずしているのは、本当に胸だろうか。
下半身をみるのも恐ろしく、お盆の位置を下げるのがせいぜいだった。
「じゃぁ、いく?」
「え、それはまだ早いって姉さん」
「リビングに行こうって言っているんだけど」
真奈美はオムライスを指さした。
「なるほど」
二人でリビングへ降り、食卓を斜向かいに囲んだ。
少しでも距離を保つためであった。
手を合わせる。
「「いただきます」」
真奈美はガスマスクを恐る恐る外す。
「ひぎゅん!」
柊人は糸で引っ張られるように後ろから倒れた。
派手な音を立てて、足の裏が天井に向いた。
「だ、だいじょうぶ?」
「このくらい平気です」
アレルギーめ。
ガスマスク越しじゃないと、真奈美のご尊顔を直視できないなんて!
悔し涙をオムライスとともに呑み込む。
真奈美の細い小枝な指でスプーンを操る。
ゴム手袋に隠されているけど、きっと白いんだろうな。
スプーンは震えているが、オムライスをたしかに掬った。
分け目から湯気が淡く昇る。
ケチャップの甘酸っぱい香りで、真奈美は唾を呑み込んだ。
オムライスが真奈美の口のなかへ運ばれる。
真奈美はその場で地団太を踏んだ。
「おいしいよこれ、おいしい!」
「よかった」
柊人は顔が蕩けないよう、唇を口の中へしまう。
人に料理を食べてもらって、褒められたことなんてない。
オムライスをしっかりと呑み込み、マスクを着けてから真奈美は口を開いた。
「オムライスになにか入れてる?」
「味の素いれました」
「珍しいね」
「甘いの好きじゃないんです」
真奈美は聞いていない。
すっかりオムライスに夢中だ。
それでもがっつくことはなく、ゆっくりとしゃくって食べている。
この分では、うっとりと見惚れてしまいそうだ。
血涙を流して唇を嚙みしめていると、真奈美はスプ―ンの動きを止めた。
「そんなジロジロみないでよ」
「大丈夫、目は見ていませんから」
「そういうことじゃなくて」
真奈美はスプーンを置いた。
空いた右手を口のようにパクパクと動かした。
「食事って生き物における弱点なんだよ。もっとも油断する時間だから」
そういって真奈美は左手の口で、右手を食べてしまった。
「食事を人にみられることが嫌なの。命の危険を感じるから」
「こじらせすぎでしょ」
柊人が突っ込むと、真奈美は噴き出した。
お腹を押さえて、前かがみになる。
しまいにはドンドンと食卓を叩き始めた。
「なんだか馬鹿みたい!」
咳しているけど大丈夫かな。どんどん痛々しくなっていく。
アレルギー発作か。
柊人は食卓に置いてあったガスマスクを、真奈美に渡す。
彼女は掌で断った。
「治したいから……!」
真奈美は咳をしながら、徐々に呼吸を整えていく。
胸に手を当てて、息がリズムを取り戻していく。
「うん、もう平気」
平気じゃないだろ。
胸で息をしているのにケロッと言うのだ。
ギャップがおかしくて、柊人は笑いを我慢しきれなくなった。
なんかどうでもよくなった。
仕事のことで思い悩んでいたことが、途端に馬鹿らしくなってきた。
ひとしきり笑ったあとの空はまだ明るい。
だって一七時だもん。そりゃ明るいよな。
真奈美はカーテンの隙間からみえる夕日を視界に捉えた。
「人間アレルギーのことなんだけど」
真奈美は手を膝においた。視線はさきほどよりも上がっている。
「私って身長大きいし、目つきも悪いでしょ」
それがいいのだと否定したい気持ちをぐっとこらえる。
「見た目でいじめられた経験があってさ……そこから人間アレルギーが始まって」
「それで人が嫌いに?」
「嫌いになったというか、嫌いになってやったというか」
首を傾げると、真奈美は苦笑した。
「どうせ嫌われるなら、こっちから先に嫌ってやるって思ったの。そう思い込んだら、アレルギーになっちゃって」
「なんか……わかる」
嫌われる前に、こちらから線を引く。
攻撃される前に他人と壁を作れば、痛い思いをする必要もない。
好いている相手から嫌われるのが、いつだって一番怖い。
まあ真奈美の場合は壁ではなく、有刺鉄線だったのだが。
「でも柊人くんとは仲良くなりたかったから」
柊人は唇を舐めた。
嬉しいけれど、どうしてと訊かざるを得なかった。
人間アレルギーの彼女が、おねショタしか能のない柊人に興味を抱いたのか。
頭を裏返してもわかりそうにはなかった。
「君が、姉さんって呼んでくれるから」
彼女は立ち上がって、一歩、また一歩と床を確かめるようにして柊人へ歩み寄る。
まるでゴジラ。
ツナギのゴツゴツとしたシルエットなど、怪獣そのものだ。
とうとう来襲した怪獣が柊人の頭の上で手の影を落とす。
感じたのは、死……ではなくて、癒しだった。
真奈美はアレルギーで震えるゴム手で、柊人の頭を撫でた。
へっぴり腰で、指先で触れただけだ。
でも頭のツボを押して、脳内細胞が活性化されていく。
「頑張れ、柊人くん」
頭を撫でて、布団のように笑う。夕日が頬を赤く染めて、ケチャップで濡れた唇が艶めかしい。
アレルギーのキャパを超え、情熱がスパークする。
夕日が昇ってきても、おかしくはなかった。
フィクションではありえない。現実に呑み込まていく。