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ヒヤリハット報告
(2700文字くらい)
本当に雪が降らなくなった。
この地に定住したのは30年ほど前なのだが、その当時よく覚えていることがあって、5月のゴールデンウイークのとき、職場の除雪で集めた雪の山が融けて水がちょろちょろ道路を流れていた記憶だ。
雪の山は見上げるほどで、その当時ホイールローダーは無かったから、バケットをつけたフォークリフトで除雪した雪を目いっぱい持ち上げて積み上げ、山にしていた。
暑くて、Tシャツになろうかという目の前に、雪の山がそびえていた。
それが、今現在1月だというのに雪が無くなりかけている。
道路はアスファルトが露出していて、クルマで走りやすいことこの上ない。
以前は1月2月にアスファルトが見えるなんてことは無かった。
毎日毎日、雪との格闘であったはずだ。
生活が楽になったことは確かだ。
毎朝早起きしてクルマの周辺を除雪する手間も格段に減った。以前は除雪車が寄せていく雪の壁をどけないと、家から出ることもままならなかった。
日に日に成長してゆく軒先の巨大なつららに窓ガラスを破壊されることもなくなった。
そして飛騨人は、口を揃えて、
「こんなもんじゃない、こんなもんじゃない」
と、あまり降らなくなった雪を見て、我らよそ者に忠告するのであった。
楽になったのだから素直に喜べばいいのに、何故か残念そうに、くやしそうに言うのだ。でも今にして思えば何かしら、気候変動の危機感から出てきた言葉であったのだと思う。
最近はそんな言葉すら聞かれなくなり、飛騨はなんちゃって雪国になった。
夏でもエアコンは要らないなどと、誰も言わなくなった。
まあ、大雑把にこの地方は降るとか降らないとか決めつけることはできない。
ちょっとでも標高が上がったり、吹き溜まりの山の中に入れば、平地とは比較にならないくらいの降雪があったりするから、あまり雑なことは言えないのだがしかし、かの「五六豪雪」とかの記録からすれば屁みたいなもんだと思う。
少なくなったとはいえ、屋根の雪下ろしは辛うじて続いている。
一応、「何故勝手に落ちるように屋根の設計をしないのか」という疑問を抱く方に説明しておく。そういう屋根にする場合もあるのだが、大抵はできない事情があるのだ。
まず、勝手に落ちるということは、いつ落ちるか予測ができないので、非常に危険である。屋根に降り積もる雪は、雨のように連続的に落ちる訳ではなく、ある程度溜まったところで一気に落ちるからだ。隣家と近接していると、勢いよく落ちた雪で壁を破壊するリスクもある。また、屋根の勾配をかなり大きく取らなければならないので、建物に大きな制約が生まれる。雪の量が多いと、急勾配で地面に近い軒先と地面が雪でつながってしまい、結局雪をどかさなければならず、いざどかそうと思っても急勾配の恐ろしい屋根に登るハメになり、何をやっているのか分からなくなる。何らかの原因で、落ちるはずの雪が落ちてこない場合も同様である。
ただし、家の裏が川だったりして、落としても誰も文句を言わないような立地ならば有効な手段である。
だから、みんな苦労して雪下ろしをするのだ。
雪下ろしは結構危険な作業で、事故のニュースなどしょっちゅう聞くのだが、有効な手立てがあまり無いのも事実だと思う。
「命綱をつけろ」とか言われても、正直全く現実的だと思わない。正論ふりかざしもいいところである。(一般的な個人住宅での話です)
まず、一体どこに支点を取れというのだろうか。雨どいではさすがに心元ないだろう。部屋の中のベッドの脚にロープを括って、2階の窓から出して屋根に這わすのか?あるいは切妻屋根だったら反対側の雪止めに固定できるかもしれないが、片流れの屋根だったらどうするのだ?
運よく支点が取れたとして、その1点だけで広い屋根を歩き回れるかと言えば、あまりのやりにくさに「ぬおお、このクソ!」となってすぐに外してしまうだろう。
数か所に支点を、とか言い始めたらそのたびにハシゴでの上り下りが発生して、そっちのが危ないんじゃないかと思う。
「生と死の分岐点」という、山の遭難事例と対策が書かれた業界ではちょっと有名な本があるのだが、あるクライマーが雪下ろしの命綱の支点をクルマに取って屋根に登っていたら、奥さんが知らずにクルマに乗って走りだしてしまい、引っ張られて墜落したという事故例が挙げられていた。
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いや、何も命綱を全否定しているのではない。
組織であれば安全対策として、トップが「やれ」と言えばそれで済む話なのであろうが、問題になっているのは一人暮らしのじいちゃんとかの話なのだ。そんなのに、やれロープを買えとかハーネス買えなんて言える訳がないし、あげたって使わないだろう。私だっていやだ。
ただ、一度だけ本当に恐ろしい目にあったことがある。
3階建ての片流れ屋根。かなりの広さのある建物だったので、真ん中にトタンを敷いてすべり台を作り、その上に雪を乗せ、滑らせて排出させるやり方を取っていた。
数人で作業をしていたのだが、何時間にもわたる作業で、皆いい加減疲れていた。私は場所を変えようと思い、トタンをまたいで反対側に行こうとしたところ、バランスを崩してコケた。
コケた瞬間、上流からトタンの上を滑り落ちてきた雪の塊に背中で乗っかってしまった。
まさにパーフェクトタイミング。(マイケルシェンカーのアルバムか?)
さあ、そこからリュージュのように、私の体はトタンの上で、もの凄い加速をし始めた!
周りの景色の流れるスピードが尋常ではない。
「ほげえー!」
もう滑らかに滑るの何のって、乗った事ないけどリニアモーターカーのようである。アナ雪2で、エルサが邪魔なアナとオラフを氷の橇に乗せて山から巨人の眠る川に滑り落としたかのようだ。
このままでは空母のカタパルトから発進しそこなったトムキャットのように、3階の屋根から「ぺっ」と吐き出され、地面に叩きつけられてしまう。
減速しようと手足を出して雪を掴むのだが、仰向けになっているせいで力が入らない。そうこうしているうちにスピードは音速に近づき、軒先が迫ってきた。
こうなれば・・・飛び降りるしかない!
いや、屋根からではなく雪の橇からですよ。
私はええいと体を半回転させ恐怖のトタンから離脱した。
勢い、屋根の雪の上で一回転して停止したところは、ギリギリ軒先の上だった。
こういうことがあると、やっぱり命綱要るのかなあ、と思ったりする。
いや、その前に、ちゃんと安全教育だろう。
チャックチャック、イエーガー。