山なんて大嫌いだった
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「スキー部って、夏なにやってんの」
この、アナタどうせ南半球に行く金など持ってないでしょ。貧乏人は走るか、良くてインラインスケートくらいしかやること無いんでしょヲホホ的に、はなから決めつけてかかってくる質問には、返り討ちのようにひとこと次のような答えを用意している。
「え、普通にスキーしてるよ」
でもこれは半分強がりである。
30年以上前の話で恐縮なのだが、私が学生時代に所属していたスキー部(アルペンとディスタンス競技)はゴリゴリの体育会系で、1年奴隷2年平民の世界が未だ色濃く残っていた。
学校の所在地は北関東だったので、少なくともゴールデンウイークまでは普通にスキー場で滑ることができる。その後6月7月は、危険なアルパインクライミングで悪名高い谷川岳一ノ倉沢の一つ手前、マチガ沢という雪渓に毎週毎週足繁く通い詰める。もちろんただ単に雪が残っているだけの山の中なので、リフトもなけりゃ広瀬香美の歌声も聞こえてこない。競技スキーなので自由に滑ることなど許されず、赤と青のポールを交互に立ててスラロームのコースを作り、それをひたすら往復する。1年奴隷の頃は、疲れてきて登るのが遅くなると3年生に怒鳴られる。スキーをかついで苦行の如くステップをひたすら登る。疲れてくると滑るのもよくコケるので、それでまた怒鳴られる。また、狭い雪渓上に複数のチームがひしめき合うので、領土問題のいざこざが起こる。夕方まで滑ってヘトヘトになって下山し、先輩のクルマに乗り込み、スピード警告のキンコンキンコンという恐怖の睡眠効果音を聞きながらウトウトしてるとまた怒られる。先輩スピード出しすぎッスよとか言うと、そんなんじゃスピード系の種目で勝てんとか言われてさらにアクセルを踏まれる。
まあ体育会なんてどこも同じようなものだと思うのだが、ありゃスポーツというより、もはや修行みたいなものであった。たまにスキーなんてレジャーだと宣う御仁がみえるのだが、是非ともマチガ沢に御同行願いたいものだ。
そんな修行のとどめは8月の月山合宿だ。
毎年8月の1日から10日まで、東北自動車道をひた走り、山形県の月山で合宿を行うのだ。通常月山と言えば、夏でも雪が残っていて、滑ることができるスキー場があるぞという認識だと思うのだが、我々スキー部はそんな軟弱なところには行かない。そもそもリフトがあるエリアの存在すら知らなかった。岩根沢登山口から5時間かけて清川行人小屋まで荷揚げを行い、そこをベースとして毎日雪渓まで登ってトレーニングを行う。
5時間というと、遅いんじゃないのと思われるかもしれないのだが、スキー板やブーツなどの道具一式と5日分の食料、そしてなんと赤とか青とかのポールとかそのポールを立てる用の穴をあけるドリルとかまでかついで持ってゆくのだ。ポールはもちろんショートポールなどではなく、優に2m以上あるフルサイズの可倒式ポールだ(M‘sWINGだった)。それを1年奴隷は何と4本も持たされ、平民天皇と位が上がるにつれ本数が減ってゆくのだが、そんな長いものをザックにくくるわけにもゆかず、手で抱えて持ってゆくものだからそりゃ時間がかかる。持っていかないものがあるとすれば、酒くらいのものだ。
そうとは知らずにノコノコついていった私は、もう(猛?)アホとしか言いようがないのだが、隠し持って行ったウイスキーをちびちび飲りながら登っていたものだから(念のため言っておきますが、以降そんなことは一切しておりません)、途中で足元がお留守になって崖から数メートル落ちてしまった。それでいきなり膝を少々傷めてしまった。
清川小屋につくと、早速奴隷が食事の支度を行う。
奴隷は私も含めて3人で、合計12人分ほどの食事を作らなくてはならない。
またフロなんかあるわけがないので、1日目からすでに鼻が曲がりそうな勢いなのだが、3日もするとだんだんどうでもよくなってくる。実は小屋の裏にはドラム管が転がっており、膝の故障のため初日のトレーニングを欠場した私は、先輩がドラム管風呂に入りたいというので、お前ヒマだろ水を汲んでおけと言われた。従順な私はちょろちょろ出る蛇口から洗面器を山の水で満たし、表のドラム管まで運び何十往復もしてドラム管を清涼な水で満たすことに成功した。ジャッキーチェンの「酔拳」を会得するための修行と同じだ。明日には薪をかき集めて沸かして絶対に風呂入るぞ。
翌日ドラム管を覗くと、赤錆で水が真っ赤っ赤になっており、愕然とした。浸かったら最後スターウォーズのジャワ族のサンドクローラーに軟禁されたドロイドみたいになっちゃうような気がして、畜生と言いながらクソ重たいドラム管を怒りにまかせてひっくり返した。もっとも今思えば、関温泉スキー場の地獄の血の池のような赤錆温泉みたいで意外と滋味深かったのかもしれない。
風呂に関して言うと、10日間分の食料を一度に荷揚げしたのでは傷んでしまうので、途中で買い出しに下山する必要がある。買い出しに全員下山する必要はないので、選抜隊が結成される。一度降りてまた登るなんてまっぴらゴメンだ降りたら最後戻らないゾという思いなのだが、そこには大きな特典がつく。そう、銭湯に行けるのだ。銭湯に入りたい者が志願するのだが、私は臭くても居残り組でいいやと停滞した。
そんな調子で10日間の合宿が組まれるわけなので、ロクに景色を見たりだとか、いわんや山はいいなあなんてことは、これっぽっちも考えたことはなかった。
2年生になって、奴隷を扱う身分に格上げされると、ちょっと楽になった。
ところが、その年の月山合宿から、別チームだった医学部が合流することになったのだ。
噂によれば、医学部と、我々工学部教育学部(以降全学と呼ぶ)はその昔非常に仲が悪く、もともと1つのチームだったものが二分されたらしい。だがそんな昔のことなど誰も覚えていないので、一緒にやろうぜという話になったということだ。
ちなみに、この医学部というのは「頭文字D」や「MF GHOST」に登場する高橋涼介が在籍していたという設定になっている。学生はそんなアウトローばかりだったのかと言えば、確かに走り屋の数は多かったと思う。友人も毎週92レビンで赤城山に通っていたし、私もワンダーでついて行きたかったのだが、スキーの方が忙しくてそれどころではなかった。もちろん勉強なんかする暇もなかった。
医学部の連中は一味違っていた。
月山合宿の1日目は、クルマでの移動時間に費やされるため、宿泊を余儀なくされる。
我々全学はどうするのかというと、金がないので山形大学の駐車場を拝借して車中泊をするのだが、医学部は何とホテルを取っていた(普通です)。
私なんかクルマの中で寝るのがイヤだったので、駐車場のアスファルトの上に直接毛布を敷いて星空を眺めながら寝ていたりした。もはや完全に不審者である。事実地べたで寝ているところを早朝大学の職員に発見されて、通報されそうになった。関係者の皆様スミマセン。で、その後不審者組とホテル組が待ち合わせをして登山口まで行くという、何とも不思議なことになっていて、同じ国立大学なのにあからさまな格差を感じた出来事であった。
しかしそんな彼等はいい奴ばかりで、ノリもよく、高橋涼介みたいにスカしたのはいなかった。
ただ、道具とかを見ると、明らかに全学よりも金には全く困っていない風で、うらやましかった。考え方も先進的で、医学部の1年生は何と奴隷ではなく人間であった。
月山合宿の最終日は全学の恒例行事として、清川行人小屋から少し登った高台に1年生を登らせてイジる。2年生以上は小屋からその高台を眺めながら、トランシーバーで色々と無茶振りをする訳だ。その日、医学部の1年生もやらせようということになって、儀式が始まった。天気は最高だ。
「出身校及び名前をのべよ」
「清川高校出身、月山太郎です!」
「きこえねえなあ、もう一度」
こんな茶番を一人一人に行うのだが、まあ、1年生も楽しんでやっている。そういう時代だった。最後に高台から降りるとき、何故か「ドナドナ」を歌いながら降りなければならないという伝統という名の謎ルールがあって、これがまた面白い。
「あーるーはれたーひーるーさがり」
「ドナドナドーナードーナー」
「こうしをのーせーてーのせて」
医学部もゲラゲラ笑っている。歌っている1年生自身も面白すぎて、笑いをこらえながら歌うので、だんだんヘンな感じになってきて、笑いは最高潮を迎える。
以上が、私の中のスキー部である。
これだけ書いて、ほとんど滑りの話や山の話が出てこないのは、奇跡でないかとすら思う。
私はスキー部に入部するまで、山登りという経験が皆無だった。
つまり、私の初登山はマチガ沢であり、次が10日間の月山合宿という、登山初心者にしてみれば相当にマニアックなところを出発点としている。
当然毎回無理やりしぶしぶ参加させられていたので、山なんて本当に大嫌いだった。
その後私は木工への道をあきらめきれず、2年生の月山合宿を最後に、大学へ退学届を提出した。
それから数年して、私は飛騨の木工メーカーに就職することになる。
工房の先輩に、佐藤さんというテレマーカーがいた。
私は行きたくなかったのだが、佐藤さんは乗鞍岳にバックカントリースキーをしに行こうと強引に誘うので、イヤイヤついてゆくことになった。
だが乗鞍高原温泉スキー場のトップから肩の小屋まで来ると、そこには今までに見たことのない世界が広がっていた。青と白だけの世界。美しかった。
稜線にまで出ると、そこにはうるさい先輩はいなかった。
眼下の広大な斜面には、スラロームのポールも、領土争いのいざこざも無かった。
「これ、どこ滑ってもいいんすか?」
「あたりまえだろバカ、お前何しにきたんだ?」
「え、でもまたここまで登り返すんですよねえ」
「そんなの滑ってから考えりゃいいんだよ」
なんだか、あまりにも自由な、フリーダムな感じに戸惑っていると、こらえきれなくなった佐藤さんはドロップインして先に行ってしまった。
「ホホーホホー」
なんだこりゃあ?
もしかしてこれ、何だか楽しいかもしれない。
翌月、仕事が立て込んできたので、佐藤さんはどこからともなくバイトを見つけて会社に連行してきた。
男の名を、クーロワール髙田といった。