見出し画像

酩酊心酔 4 きたない酒

                        2500文字くらい)
大阪の北新地にマニアックな飲み屋があって、悪友に連れていってもらったことがある。
そこは、にごり酒専門の日本酒バーで、店主はもちろん客もヘンタイが多いので、注意が必要である。
我々はカウンターに陣取り、ふたりで嬉々として飲んでいたのだが、しばらくするとスーツ姿のおっさんが隣に現れた。(我々も同様におっさんです)
おっさんと店主のやりとりを横目で盗み聞きしていると、これがまた相当なマニア様でして、お近づきになろうと思い、タイミングを見計らって話しかけた。
世の中には色々な人がいるものです。
その方は、古酒が専門なのだが、中でも「にごりの古酒」を好んで飲られるとか。
私も、どちらかと言えば古酒は好んで嗜む方なのだが、それは多かれ少なかれ、沈殿物のあまりない清酒の話であって、にごりの古酒というジャンルが存在することなど、考えてもみなかった。
そもそも、にごり酒自体が少数派である。
そして多くの場合、にごりとして売られている酒はフレッシュさを前面に出したものが多いので、はなから長期間置いてみようなどという発想がない。
さらに物騒なものになってくると、発酵が止まっておらず、瓶詰めされても二次発酵によりガスを発生し続けているのであろうか、「絶対にゆするな」とか、「爆発の危険がある」とか、脅しをかけてくるものだから、そんなものを屋内に置いておく勇気なんてないし、蓋に小さな孔があらかじめ穿けてあったりすると、なおさら早く飲んじまう他なしと脅迫されているようだ。
一度、悪友連中と新潟のアライまでスキー合宿に行ったとき、ホテルの一室で一升瓶を開けようとした。
確か「小左衛門」のにごりだったと思う。
飲ろう飲ろう、と皆で飲む気満々席を囲み、テーブルにどんと置いてキャップシールをべりっとめくった。
その瞬間、パンッと軽快な音を上げて蓋が飛んだ。「あっ!」

「ちゅどどどどどどどど」
「うわあー!」
「ちゅどどどどどどどどどどど」
「フフ、フロ場!フロ場ー!」
                  (高橋留美子先生すみません)

一升瓶から火山の噴火の如くほとばしる酒柱を、手のひらで押さえても止まるはずがない。
どぼどぼと手首を伝ってこぼれ落ちる泡だか液だかよく分からないものを、勿体ないので口をつけて、じゅるじゅるすすりながらフロ場へ走った。
もはやこうなれば全部飲むしかない、一滴たりとも溢さんぞ。ここで溢せば末代までの恥と言わんばかりの勢いで、ゴクゴク喉を鳴らしてフロ場に走る。炭酸で胃がふくらみ、白濁した液体はバリウム拷問のようである。
「げほげほげほげほ」
バスタブの上で見ると、一升瓶はほとんど空になっていた。

まあ、にごりだからと言って、そんなのばかりではないし、フレッシュさを求めるなんてつい最近始まったことだから、そういう危険も中にはありますよ、ということだ。

マニアのおっさんの話にもどる。

おっさんは自宅に、にごりの古酒の数々をコレクションしているらしい。
私はすっかりブったまげてしまい、おっさんに心底ほれ込んでしまった。
にごりの古酒。
ああ、なんという魅惑的な響きであろうか。私も飲ってみたい。
これは通常の古酒をも超越した、まさしくド変態の世界だ。
だが、おっさんは、私の愛を受け入れることはなかった。

「汚いから止めておけ」
「え、汚いんすか」
「ああ、そうだ。汚いから、みんなやらないんだ」

濁りのない酒を長期間置いておくと、赤味のかかった美しい琥珀色に変化をし、最終的には黒に近づいてゆく。

これは元々透明なもの。40年経って、黒色に近づいてきた。

ところが、にごりの場合、琥珀とかそういう綺麗なものにはならず、はっきり言うと汚物的な色調に変化してゆくらしい。
まさしくド変態。
そうして、最近までそういったマニア向けの液体にはお目にかかれていなかった。
ところが昨年末、あの北新地の店に行った悪友と、久々に地元で飲んだ。
店は行きつけの料理屋。料理は旨いし、燗の温度まで指定させてもらえる有難い店だ。
で、カウンターで件の「マニア向け液体」の話をしていたところ、それを聞きつけた大将が、

「あるけど飲んでみる?」
「ゲ、まじっすか」

それが冒頭の画像である。
にごり、というか、これは世界遺産白川郷で振舞われる「どぶろく」だ。
いい加減酔っぱらったタイミングだったので、何年経っているかとか聞きそこなったのだが、恐らく2~3年、その色調はヤクルトのようであり、味わいはチーズに近いもので、なかなかに旨いものだった。
まだ汚いとは言えない色調であったものの、この先どう変化してゆくのかは知る由がない。
・・・やってみるか。
先ほども述べたように、清酒の古酒は、探せば購入することが、まだ可能な世界である。
だが、にごりの古酒なんて見たことも聞いたこともなかった。
ということは、自分で買って、置いておくしかないのだ。
さすがに火入れの方が安全と思われるが、白川郷のお神酒は火入れなんてしてあるのか?生じゃねーのか?
どぶろくの生を常温で放置する。
ああ、考えるだけで恐ろしい!
そして、汚物のように熟成し完全体となった液体を、びくびくしながら飲る。
この禁断の行為の向こう側には、一体何があるのだろうか。
やるのか。止めておくのか。

そう言えば、我が家の冷蔵庫の中に長らく鎮座する物体Xを思い出した。
ありゃ一体何だ?
「この、冷蔵庫にずーっと入ってる味噌みたいなの、何なん」
「それ味噌じゃなくて酒粕だよ、能登の白菊でもらってきた」
と、カミさん。
なぬ、酒粕だと?酒粕って白いモンだろ。どう見ても名古屋圏の赤味噌だ。
「え、もらってきたって、10年くらい前の話じゃない?」
「そーだよ。この前も鍋に入れたけど、おいしかったでしょ」
「お、おう、旨かった」
酒粕って、生きているのだろうか。生きていなければ、とっくの昔に腐っているハズだ。塩に漬かっている訳ではないのだから。

何やら、この一連の出来事で発酵にまつわる恐るべき世界の一端を垣間見たような気がした。
そしてカミさんに内緒で、生のにごりを育て慈しむ自分自身の姿を想像してそら恐ろしくなってきた。

不味いものを量産してしまうのではないか・・・、心配だ。


味覚人飛行物体・小泉武夫氏






















いいなと思ったら応援しよう!