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冷たい穴

 誰でも一度や二度は死にそうになった経験があるだろう。
 それは突発的な交通事故のような場合もあれば、自らあえて危険なことに向かった結果であるかもしれない。
 そして山に向かうという行為は、その双方の要素を含んでいる。

 過去にこういうことがあった。
 春先の北アルプス、奥穂高岳に日帰り登山をした帰り道の白出沢。ガレ場を過ぎ沢沿いを歩いていると、突如としてズンという落雷のような轟音が谷中にこだました。鳥の群れが一斉に飛び立つ。だが雷が鳴るような天候ではない。
 何事かと思いつつ5分ほど下ってゆくと、厚さ2m、縦横10mほどの、板状の巨大な岩が道を塞いでいた。もちろん行きには存在しなかったものだ。脇の岩壁からはがれ落ちたと思われる巨岩の上には、新しく空気に触れてあらわになった岩壁からパラパラと岩くずが落ちていた。もうこれ以上何も起こらないでくれ、と願いながら、その岩を何とか乗り越え、無事下山した。何でもない一般ルートでの出来事である。こんな突発的な出来事で、もしも下敷きになっていたら完全に行方不明者として扱われることになっていただろう。

 また、過去にこういうこともあった。
 同じく北アルプス、槍ヶ岳北鎌尾根を登高中、岩壁をトラバースする場面に出くわした。幸い残置のロープがあったので、それを頼りにクーロワール髙田がへつりをはじめた。
 数メートル進んだところで突然彼の足場がガラガラと豪快に崩れ落ちた。直径50センチほどの岩が谷底目がけて吸い込まれるように落下、途中崖から突き出ているほかの岩に激突し、パッカーンと乾いた音を響かせて砕け散った。
 彼は残置ロープ1本でぶら下がっており、フットホールドを求めて足をバタつかせている。もしやと思ってロープを固定しているハーケンを確認すると、にゅーっと抜け始めているではないか。
「やべー、はやく渡れ!急げ!」
 私はそう叫ぶと同時に玄能を腰のホルスターから引っこ抜き、抜けかけているハーケンの頭に火花を散らせまくった。あせって打ち損じ、折れたりでもしたら一巻の終わりである。瞬間的に職人ゾーンへと没入した私は極めて正確に、そして全速力で仕事をこなした。
 クーロワール髙田はどうにかこうにかトラバースを終えて生きながらえることができた。

バックカントリースキーという、パウダースノーを求めに行く行為がある。 
 この冬山登山のおいしいところだけを横取りするような、言ってみれば肉の塊を焼いて、中心のいい感じに火の通った部分だけを食ってやろうという行為については、登山を含むその他危険行為と若干異なる側面を持つ。
 それは、アクシデントが発生したときの、精神的な落差の大きさだ。

 先ほど山中での出来事をふたつばかりあげさせてもらったが、事故に至るまでの精神状態というのは、突発性や疲労の度合いにもよるのだが、基本的には緊張状態であり、何かあったらすぐに対処しようとする構えができているものである。
 ところが、バックカントリースキーの場合は、滑り始めたら最後脳ミソは完全に理性を失う。理性を失ったらそれこそ死を意味する山中のはずなのに、ことスキーとなると「ウホホーウホホー」とか奇声を上げながら本能に支配されてしまう。
 もちろん木にぶつかったら痛いとか、ガケから落ちた先が岩だったらやばいとか、雪崩で埋まったら苦しいとか最低限の配慮はするのだが、基本的には躁状態になっているのが普通だ。これは私が思うに、スキーというのはリカバリーのスポーツ、つまり、滑りはじめると、自然の雪という相手が超高速で次から次へと襲いかかってくるのだが、それらは全く一様ではなく、常に状況が変わることへの対処をしなくてはならないので、どうしても思った通りにはいかない度合が他のスポーツよりも高い。
 要するに、思い通りにいかないからどうにでもなれという心理がはたらく上に、レースをやっているわけでもないし、仮にコケても大して痛くないし、止まろうと思ってもそう簡単に止まらないものだから、尚更快楽を求める方向に傾倒するのである。小籠包からアツアツのドーパミンがほとばしるように。
 だが毎度毎度そう都合の良いことは続かない。アクシデントが起こる。かぶりついた極上の肉にカミソリの刃が仕込まれている。絶頂から突如地獄に落とされる瞬間がそこにある。

 1月の当日朝、私はあまり乗り気ではなかった。
 若干寝坊気味で焦っていたせいもあるのだが、集合場所までの峠の下りで180度スピンをかましてしまった。愛車のNB8Cロードスターは修理中で、ダイハツ・ミラのマニュアル車が代車としてあてがわれていた。路面は氷でガチガチの深い轍ができており、スピードをゆるめようとヒールアンドトゥで一速落とした瞬間にフロントだけ轍を外れて前後で一列分ずれてしまった。完全に直ドリ状態※となり、轍をまたいで戻そうにも滑って戻らず、そのうち右コーナーが迫ってきたので仕方なくブレーキを踏んでスピンをさせた。

※横を向きながら真っすぐ走らせること。

 集合場所に到着すると、トオルが「よしろーさん遅いっすよ」といつものハイテンションでたたみ掛けてくる。
 今回のバックカントリースキーは乗鞍山系の四ツ岳を目指す。トオルの提案だ。他メンバーは諌山とクーロワール髙田の計4人。行程は久手の牧場から乗鞍スカイラインに合流、そこから四ツ岳2751mを目指し、帰りは平湯大滝に出る。間違っても滝壺にダイブしてはならない。落差は64mもあるので伝説が生まれてしまう。そして取りつきと降り口が異なるので、帰りのクルマを平湯スキー場に回しておく。回したのが何故か私のミラだった。
 今回諌山はアルペンスキーではなくボード、トオルは元からボーダーなので、二人はスノーシューで軽快に登ってゆく。私と高田はテレマーク※なのでシール※を貼っての登高である。

※スキーの一種。踵が固定されておらず、歩きやすくフリーダムな気持ちになれるが、バランスを取るのが困難な上、独特の変わった滑り方を要求される。クロスカントリースキーとは別物。

※スキーの裏にフェイクファーの剛毛豚毛版みたいなのを糊で貼り付け、滑り止めとし、そのまま登って行けるようにする道具。扱いが非常に難しい。

 私の板はフォルクル・ゴータマの初期モデルで髙田は相変わらずロシニョールのバンディットだ。天候はあまりよろしくないものの、パウダーが期待できるにもかかわらず何故か太い板を敬遠する彼は、それが後ほど災いすることになろうとは夢にも思っていなかった。
 乗鞍スカイラインに合流し、道をショートカット直登してゆくと、だんだん傾斜がきつくなりシールでは登りにくくなってきた。こういう場面ではスノーシューが強い。そして森林限界まで到達すると、突然スイッチを入れたように烈風が吹きすさび、急速に体温を奪われていった。ここから上は雪もガリガリ、水筒の水も凍りはじめてジャリジャリになってきたので、四ツ岳登頂をあきらめ、別ルートを探すことにした。我々はスキーをしに来たのだから賢明な判断だ。
 スカイラインを2200m付近の猫の小屋※まで戻ると、どうやらその裏に良さげな谷があることが地図上で確認できた。

※かつて猫岳のふもとにあった避難小屋。名前はかわいいが、その外観や内装は懲罰房という名がふさわしい。朽ちたコンクリと割れた窓ガラスが印象的であった。筆者はこの小屋でつらい一晩を経験済。

 そして谷の起点に立つと、そこは桃源郷かエル・ドラードかと見まごうばかりの完璧な斜面が眼下に広がっていた。巾は広く、雪はしっとりやわらかく、どこまでも深く、「さあ、おいでおいで」と性格の悪い妖精か何かの手招きする声まで聞こえてきて、何だか涙が出てきそうだった。しかも斜度までこれまたいい感じなのだ。

「まじか」
「やべーよこれ」

 この時点で我々の理性は完全にフッ飛んでいた。そしてドロップイン。

「ヒヤホー」
「ウホホウホホウホウホ」
「リャリャリャリャリャリャリャリャ」
「パルルルルルルルルル」

 長い谷だった。
 雪崩の気配も無く、風も無く、谷には我々の奇声だけがこだましていた。 
 しかしいつまでも桃源郷に居られるわけではない。
 ここはトヤ谷の支流で、もうすぐ本流と合流というところまで降りてくると、谷は異常に狭くなり、両脇の雪壁が迫ってきて、断面がV字の底みたいなところにいる状況になった。
 いやな感じがした。何がというわけではないのだが、とりあえずV字の底にはいない方がよいと思い、なるべく雪壁の上の方をトラバースしていった。
 先頭はトオル、2番目が諌山、私、髙田という順で降りて行った。先に行く彼らも何かしらイヤな雰囲気を感じ取っているらしく、壁の上の方、右岸側をトラバースするのだが、いよいよ本流に出る、という所で行きづまってしまったため、仕方なく谷底を通過して左岸側に移動した。私も彼らに続いて何事もなく谷底を滑り、通過したその時、微かに水の流れる音を聞いた。
 私は前の2人が無事本流に出られた様子を確認すると、それに続こうと思ったのだが、ふとクーロワール髙田が気になって後ろを確認した。

いない。

 よく見れば、20mほど上方の雪面に穴があいていて、その穴からストックの先がにゅっと出てきたかと思うと、次の瞬間左右にバタバタと振り回す様子が見えた。
 一瞬状況が理解できずに軽いパニックに陥った。が、すぐに彼はスノーブリッジに穴があいて落下し、下半身は雪に隠れて見えない沢の水に流されそうになっていることが想像できた。私はまず先に行く2人を大声で呼び止めた。本流を下りはじめられたらすぐに姿が見えなくなってしまうからだ。

「トオル―――!諌山―――!髙田が落ちた!こっちに来てくれ!」

 救出に向かおうとした私は迷った。スキーを外して、この谷底の深い雪の中を登ってゆけるのだろうか。だからといって、悠長にシールを貼っている時間などあるのか?いや、考えているヒマは無い、とりあえずツボ足※で登る。たかが20mだ。

※スキーもスノーシューも何も付けずに靴だけで雪面を歩くこと。

 私はスキーを外すと、ロープとスコップだけ持って登りはじめた。だが、残念ながら最初の一歩で頭まで埋まってしまった。

 「髙田―――!」

 雪の中でもがけばもがくほど下方に落ちてゆくようだ。髙田のところまで登りたいのに、最初から目線が既に雪面なのだ。たったの20mが絶望的だった。しかも真っすぐ進んだら私も確実に沢に落ちて、二次災害は必至なのだ。
 もがきながら、髙田の様子、というかストックを見ると、心なしか振りに力がなくなっているようだ。

 「髙田―――!」

そしてついに力尽き、ストックはパタンと倒れたまま動かなくなった。おいおいおいおいおい、死んじまったんじゃないだろうなあ。

「たかだあ―――!」

私は腹の底から大声で彼の名を呼び続け、もがきつづけていた。
 同じころ、トオルと諌山は谷の中を登るのは無理だと判断し、左岸側の尾根からアプローチを始めていた。こっちはこっちで雪は比較的少ないとはいえ、取りつきからして崖っぷちをよじ登らなければならず、難儀していた。それはそうだ。凍り付いた岩を、厚いグローブとボード用のブーツで登るのだ。
 そうして30分ほどして、彼らは髙田の左上からロープを垂らすことに成功した。
 私は汗だくになってもがきつづけたものの、結局5mくらいしか進むことができなかった。
 引きずり出された髙田は一応生きていてケガもないようだが、何しろ長時間流水にさらされていた足と、心理的ダメージが心配だった。
 聞くところによれば、落ちたすぐ先は滝になっていて、あと50センチ下だったら確実に雪の暗渠の中を流され、暗黒世界から脱出する術はなかっただろう、と。
 ストックの振りを止めたのは、死にそうになったからではなく、スキーを外したり脱出するための準備にとりかかっていたことらしい。
 ともかく先を急ぐことにした。もう夕暮れ時なのにまだまだ距離が残っているのだ。

 

装備を放り投げて堰堤を飛び降りる筆者

 クーロワール髙田は疲労困憊し、どうしても遅れ気味になった。ズブ濡れになった足は、ウエットスーツ状態になっており、さほど冷たくはないということだが、本当かどうかは分からず凍傷が心配だった。放っておけばいずれ氷柱になることは確実だ。
 本流の下りは調子よく滑り降りることができる箇所もあり、トオルはスッ飛ばして滑り降りてゆく。彼の滑りは独特で、おそらくサーフィンをやっているからなのであろうが、波に乗っているかのような滑りは見ていて小気味よい。何というか、彼は自分に無いものを全部持っているような気がする。明るさや行動力・・・そんな彼は現在異国で仕事に明け暮れているらしいのだが、わざわざ日本に戻ってきて我々と死にそうになった奴を助けたりしているのだから面白い。そんなことを考えていたら、今度は突然トオルが叫び声を上げて消滅した。
 何事かと思って現場まで滑り降りると、堰堤に気づかずダイブしたトオルが下で埋まっていた。5mほどの高さから落ちたのだが、雪が深く大事には至らなかった。それよりも、隣にある堰堤は落差が50mほどあり、こっちで良かったとほっと胸をなで下ろしたものの、何故両隣に堰堤があるのか不思議でしょうがなかった。が、しばらくして、落ちたところは何と中州だということに気がついた時、再び絶望感に見舞われた。

 どうにかこうにか谷を脱出し、平湯峠の道路に這いずり上がったときにはどっぷりと日が暮れていた。クーロワール髙田も何とか無事生還できた。
 4人分のザックやらスキーやらを無理やり代車のダイハツ・ミラに押し込んで、ぎゅうぎゅう詰めでも押し込みきれないのでリアハッチを開けて荷物がはみ出たまま久手の集合場所に向かって走りはじめた。運転手の私も含めて異常に窮屈な車内は、あらぬところに人の関節が挟まっていたりして、シフトチェンジのたびにトオルが「いでえ、いでえ」と騒ぐ。

それを聞いていた諌山が山中での出来事を暴露した。
「俺、今日髙田が死んじまったら嫁さんに何て言ったらいいのか、そんなことばかり考えていたんだけど、髙田が落ちてよしろーが叫んでいたとき、この男は、めんどくせーから先に行きましょうよ諌山さん、とか言ってたぞ」

何ィ。

「トオルよお、何速が一番痛いの?」
「2速がやばいっす」
「ほーかほーか、んじゃ2速にシフトダウンするか」
「ぎゃー止めてくれろ」

 私はアクセルを軽く煽って、ミラのシフトノブを2速にガシャっと放り込んだ。

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