「水が合う」ってなんでしょう。
「水が合う」
年を重ねて、経験を積むごとにこの言葉が心から使えるようになった。
日々訪れる出会いと別れ。
自らの意志で踏み込む関係やコミュニティ。
沢山チャレンジはするけれど、どうも続かない。
飽きてしまったり、合わなくなったり。
子どものころはあんなに簡単に友達は作れたのに、今じゃとても難しい。
一人旅で多くの一期一会も経験した。
そんな日々を過ごしながらまた新たに飛び込んだ枠の中。
ぴったり、しっくり、すっぽり収まる。いろんな表現を混ぜたくなるくらいに、居心地のいい場所だった。
まるで昔からの仲間のような、いい意味で気を遣わず、楽しかったなと余韻が残るほどの時間を過ごせる、今の私のエネルギー源。
何がそんなにそうさせているのか、人や方言それらが繰り出す会話。景色、環境。いろんな心地いい要素が絡みあって私はあっという間に引き込まれた。
平日の日常である、都会の喧騒と満員電車から切り離された世界。
私にとっては、東京よりずっと刺激的な、危ない世界。
ずっとこの時間が続けばいいのに、ずっとここにいたい。
そう思うと同時に、私は戦うことから逃げようとする私と戦う。
常々、いろんな私と、戦っている。
ストレスは、両手に抱えきれなくなると私を飲み込んでしまう。
けれど、上手に付き合えばストレスは新しい私を見せてくれる。
「水が合う」とはまさにこのことを指すのだろうと感じた。
けれど、ストレスが私の手を放した時、私は「水に溶けて」しまう。
溶けてしまったら私は固体ではなくなり、自分の色も薄れて透明になってしまう。
「水が合う」末はどこにたどり着いているのでしょうか。