自分が自分でなくなる時
自分を消してやりたい
自分の人生を実感できない
どうしてこれらの感情を抱くのであろうか
なぜなら、自分自身を自分自身と思えなくなっているからである。
一番の例は、留年であると思う。
留年をする理由はたくさんある。遊びに熱中した時。長い間体調を崩した時。大学よりも優先すべき問題に直面した時。
しかしながら、具体的理由があるのではなく、なんかよくわからないけど留年してしまった、と言う場合もある。
何に対してもやる気が出ない。日々の生活や勉学等に意味を感じることができない。毎日が退屈な繰り返しにすぎない。
そうして、特に理由もないけれど、授業を休む。一度欠席すると次も休む。ずっと休み続け、いつしか留年している。
一部の人は、留年するための学費を自分で賄う。自分で金を払うのであれば自分の責任の範囲内で行っているのだから、批判する理由はないと考える人もいるだろう。
だが、そのお金は何のために稼がれたのだろうか。特に何もしていないのにお金を払う。その意味は一体何なのか。
こうして、人生がふわふわしてくる。自分の人生なのに、自分の手から零れ落ちて行ってしまう気がする。それが怖くて怯えて、悪循環に陥る。
人生とは文字通り、人が生きる際の過程や道のりを表す。しかしながら、その自分の人生さえ、どこか他人事のように思え、どうでもよくなってくる。
自分の人生を取り戻すためには、どうすればよいのだろうか。まずは、悩みを誰かに打ち明け、吐き出すことだと思う。誰かを抱きしめると、自然に涙がこぼれてくる。身体的感情は言葉よりもずっと素直である。誰かの懐で泣いていい。多分。
頼る人なんていないよ、と言う人もいるかもしれない。そう思うなら、連絡先をリストアップし、神に書き出してみよう。霧に包まれた状態では、自分を見失うのは当然である。一つ一つ必要なことを明確にしていくことが解決の第一歩だ。
最後に、健康的に過ごすことだと思う。健康を維持していれば、何事もない日々も楽しく感じることができる。PCやスマホを見過ぎない。早寝早起き。バランスの良い食事と適度な運動。私たちは肉体を持っている。脳や精神のみで生きているわけではない。だからこそ、体をいたわれば、自然と心も軽くなるはずだ。