哲学甲子園への投稿作品その2

求められていたテーマと違ったこともあり、落選。原稿を置いておきます。

『アイヌ神謡集』の「小狼の神が自ら歌った謡」を用いた、我々の時間解釈と物事の理解形式の関係の考察

 この文章において、私は『アイヌ神謡集』の「小狼の神が自ら歌った謡」を分析し、物語において三つの時間解釈が存在していることを分析する。そしてその時間解釈を因果性、必然性と偶然性に置き換え、我々の理解形式を考察する。
 初めに、「小狼の神が自ら歌った謡」の内容を要約する。小狼はある日暇だったので浜辺に出る。すると小男がいたので、彼の進路を何度も塞ぐ。するとその小男は怒り、岬の昔の名と今の名を言い解けと迫る。小狼は栄えていた昔の時代は神の岬と呼んでいたが、世のすたれた今の時代は御幣の岬と呼んでいると語る。次に小男は川の昔の名と今の名を言い解くよう迫る。小狼は栄えていた昔は流れが速い川、衰えている今は流れが遅い川と呼んでいると説明する。
 最後に小男は互いの素性の解き合いをしようと迫る。小狼は小男の正体を話す。ある日、オオキリムイというアイヌの神話にたびたび登場する英雄が山小屋を作った際、木の炉縁が渇き曲がってしまった。それに腹を立てた彼は川に炉縁を投げ捨てた。すると神々は高貴なオオキリムイが作った炉縁が流れ腐り果てるのはもったいないと思い、炉縁を魚に変え炉縁魚と呼んだ。しかし魚は自分の素性がわからず、小男になってさまよい続けている。それが小男の正体だと言い解いたのだ。
 小男は話を聞き終えると「お前は小さい狼の子なのさ」といい、水に飛び込む。そして魚の姿になり、沖へ泳いでいく。これが「小狼が自ら謡った謡」である。
 では次に、物語に見られる3つの時間解釈とその様相的意味について、入不二基義『現実性の問題』の三つの時間解釈を参考にしながら分析する。
 物語には三つの時間解釈がある。一つ目は経時的時間だ。経時的時間において当事者は過去―現在―未来のように時間を切り分けながら連続性を意識する。物語では小狼の神の立場がそれに当てはまる。彼は岬や川の名前、そして炉縁魚の由来を時系列に並べ替え因果的に理解している。例えば、物語の中で岬は盛衰の変化が原因で神の岬から御幣の岬と呼び名を変えている。
 二つ目はべた塗り的時間だ。べた塗り的時間において当事者には内的必然性が働いている。すなわち、必然性によって物事が地続きになっているとき、当事者自身は今を生きる自分自身の姿しか捉えられず、時系列の中に位置づけられない。
 物語において炉縁魚がべた塗り的時間の中にある。炉縁魚はオオキリムイに捨てられていたが神によって魚に変えられた。彼は本来ならば経時的流れに従い、炉縁として終わりを迎えていたはずだった。しかし彼は神々によって突然魚としての生を与えられた。よって彼は自分自身の由来を知ることはできず、自分の正体を探し求めてさまよい続けていたのだ。
 三つめの時間解釈は断絶的時間である。断絶的時間において今とその他の時間が完全に断絶しており、全ての事象は偶然的である。よってそれぞれの事象は互いに一切の関係を持たず、ゆえに各々の事象は説明不可能である。ただし、ベタ塗り的時間は物事が地続きであったが、こちらは断続的な状態である。
 物語において断絶的時間は炉縁魚が小狼の正体を当てるときに現れる。炉縁魚の場合と違い、小狼については何の情報もない。それにもかかわらず、炉縁魚は小僧にばけた小狼の正体を突然当てる。炉縁魚が偶発的に推理を当てるのは炉縁がオオキリムイという高貴な人物に作られたからか。
 では最後に、小狼が一連の様子を経験した後、出来事を謡という形で語りなおしていることの意味を考察する。小狼は自らの語りで経時的な因果的出来事、べた塗り的な必然的出来事、そして断絶的な偶然的出来事を叙述している。彼の語りはもちろん経時的な語りであり、因果的な推移を描写している。
 しかしながら、この三種類の出来事を語るためには、小狼は経時的な時間解釈にとどまらなくてはならない。というのも、べた塗り的な語りでは当事者は出来事そのものを把握できず、また断続的な語りでは経時的な出来事の理由を把握できないからだ。だが、経時的解釈は偶然的出来事のような因果性から外れた状況を「因果性から外れた事象である」と因果的理解の範疇で把握することができる。つまり、経時的・因果的解釈を用いれば、経時的・因果的でない事柄をも理解することができるのだ。
 そして最も注目すべき点は、経時的な時間解釈こそ我々の一般的な事象把握の方法であるということだ。小狼は三つの時間解釈を代表するような出来事を経験し、そして経時的解釈によってすべてを語りなおすことができている。我々も日常において或いは偶然的だと思う事柄を経験し、様々な感情を抱く。そしてそれらを時系列に並べかえ、因果関係を軸として事象を理解し直す。それは小狼の語りの方法と同様である。つまり、小狼の自ら謡う謡、それは我々が様々な物事をどのように理解しているかを端的に示した内容なのである。

本文 1987文字
参考文献 
知里 幸恵(1978)『アイヌ神謡集』岩波文庫
入不二基義(2020)『現実性の問題』筑摩書房

入不二先生の理論を借用したが、現実性の源が何か(誰か)わからず、議論としては物足りない印象。まだまだ勉強が必要である。

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