自分を愛するということは、人を愛するということである。

自分を愛するということは、人を愛するということである。

人は人を愛するとき、それにふさわしい言葉を使う。

ふさわしい言葉とは、人を包み込み、そして同時に人の芯まで届く言葉である。時にそれは誰かを癒やし慰める言葉である。時にそれは人に深い反省を促し善い方向へと導く言葉である。

誰かへの悪口、嫌味、妬み、皮肉、暴言など。それらは人を愛するときに使う言葉ではない。

暴言などの言葉は鋭利で人を傷つけるが、人を変革するほどの力もない。どれだけ鋭利なナイフを持っていても、おいしいおいしい豚汁が作れないのであれば、きわめて無意味である。(ヴィーガンやベジタリアンの方は野菜たっぷり味噌汁を作れないだろう)

暴言等の言葉を使うとき、あなたは人を愛してはいない。

そしてあなたがひどい言葉を使うとき、その言葉は体に染みこんでいく。

ひどい言葉はあなたをむしばみ、あなたの心をとげとげにしてしまう。

心がとげとげの時、あなたは自分を愛することができない。

なぜならあなたが自分に対して発する言葉はあなたを攻撃するからだ。

たとえ誰かが温かい言葉をかけてくれたとしても、あなたはそれに対して冷たく薄っぺらい言葉しか返すことができない。

なぜならあなたの心は硬くしなやかでないからだ。もちもちのほっぺたはぷにぷにするから幸せな気持ちになるのであって、痛がらせるほどに引っ張るものではない。(もちろん、ぷにぷにには同意がいる。)

同様に、あなたのために強く批判する言葉をかけられても、それを受け止める余力もしなやかさもない。

そしてなにより、あなたにもっとも近い存在であるあなた自身でさえ、あなたに優しい言葉をかけることができない。

その時あなたはあなたから最も遠い存在となってしまう。

あなたに最も近い存在であるあなた自身があなた自身を守ることができないことは、とても悲しいことである。

だからこそ、あなた自身を愛するときに使う言葉を育むために、普段から、人を愛するときに使う言葉を用いるべきだと思う。

道のりは長い。常に言葉を間違え、人を傷つけうる。

しかしながら、だからこそ、人を愛する言葉を使えるよう鍛錬することで、人にも自分にも優しくなれる。

人を愛する言葉を使えば、きっとあなたの周りは愛に満ち溢れるだろう。そうして愛の土壌が育まれ、おいしい豚汁が完成するだろう。(ヴィーガンやベジタリアンの方は野菜たっぷり味噌汁が作れるだろう)

よって、自分を愛するとき、人は人を愛するのと同じようにあなた自身を愛し、人を愛するときと同様にあなたを愛する言葉を用いる。したがって、あなたを愛するということは、人を愛するということであり、人を愛する言葉を用い続けるということである。


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