ツリー 2023/10/13
やさしくされると泣きたくなるのが何でか、少し分かったかもしれない。
そのやさしさに応えられないと自分で分かるから、その申し訳なさに耐えられずやさしくされるのを放棄したいんだ。
食べる事がすきで人の3倍食べていたのに、一度食べられなくなったら普通の食事があまり摂れなくなってしまった。
お腹はそれなりに減るし、TLに流れてくるおいしそうな写真たちを見ておいしそう食べたいなって思えるのに、実際に食べ物を目の前にしても食べる意欲が湧かず、あまり味を感じず、咀嚼嚥下するのが苦痛。 食べたいけど食べたくない、みたいな。
そういう時にあれたべる?これたべたら?って言われるのって結構しんどいんだって分かった。
私が食べるのが趣味と知っているから夫が、好きそうなものをあれこれ提案してくる。。 でも逆の立場でも、私だってなんでもいいから食べられるものをって考えまくると思うから、まぁそれは仕方ないことだな。
柔くて飲み込みやすいものなら、と夫がデザートを買ってきてくれて、正直気は進まなかったんだけどせっかくだから食べたらあんまり味がしなくておいしいと感じられなかった。
優しさを無駄に消費した罪悪感で嫌になってしまった。
私にとって、それを心からおいしく食べる事がやさしさに応えることであるのに、それができなかったから。
そもそも、やさしさに対して態度や成果で応えなければいけないのか?と問われれば 私がだれかに何かをするときにそれは求めていない、とはっきり答えられる。
何か良い化学反応があったのならそれはよかったね、くらいのことで、求めているという強度ではない。
でも立場が入れかわると、私は応えなければならないというか、応えたいと思ってしまうんだよな。 応えたいという気持ちを原動力にして生きている部分が大きいのと、やさしさをただ素直に受け取っておける素直さを持ち合わせていない。
言ってもヨーグルトとか少量なら麺とか、日によって食べられるものは食べたり、働いてるし怒る元気も、もともと体に蓄えたモノもあるので構ってちゃんではないです、あ、少し自分の頭の中が分かったかもしれないぞ?という今後のためのメモです。