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「空気を読め」〔クリシェ【凡百の陳腐句】4〕
「空気を読む」という言い回しは、この十数年ですっかり市民権を得たようで、辞書にも載るようになった。
それによると、「空気を読む」とは具体的には
「その場の雰囲気から状況を推察する。特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する。」(デジタル大辞泉)
ということらしい。
「じゃあ、『状況判断』でええやんけ」。
この説明を読んだ、僕の率直な感想だ。
思うに、「空気を読む(読め)」という言い回しは漠然すぎて"具体的解決性に欠ける"。
「空気を読めない者」に「空気読め」と宣ったところで、本人としては「どうしたらいいかわからん」のだ。
「状況判断」ならば意味が端的に表れているうえに、「空気を読めない者」に対して「どうしたらいいか」をクリアに示しうる。すなわち「"状況判断"をし続ける」だ。
ゆえに、自らへのマインドとしては「的確な状況判断を心がける」で必要十分だし、他人に対する示唆としても、「空気読め」ではなく、「状況を見て判断をしてくれ」と言った方が効果的だ。
結論、「空気を読む」は「状況判断」の"下位互換"の表現である。