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#6 この選択はこれから「正解」にしていく

どうも、うもうです。
今日はタイトルの通り、最近自分に響いた言葉の紹介です。

自分自身はいつも「正しい」ことや物を得られるように、最善を尽くすようにしてきたつもりだ。
とはいうもの、自分の欲望に負けて楽な道を選ぶことは多々ある。その中でも周りに波風を立てずに、自分が良く見えるようにという要領の良さはある程度兼ね備えていると自負している。
それは周囲にもお墨付きで、先日は妻の知らない親戚の集まりで、終わってみればみんなから握手を求められるまでの功績を残した(笑)。

これは幼少期から備わっていたようで、友達作りには苦労したことがなく、幸せな学生時代を過ごしたものだ。
しかし、今となっては自分は常に誰かの顔を伺いながら、どういった行動をすれば「正解」になるのかを考えてきたのではないかと最近強く感じるようになった。

そう感じるきっかけとなったのが子育てだった。
子どもは、誰がどのように感じようが自分のしたいことを優先する。
それをストレスに感じる親は多くいるとのことだが、なぜか私はそれが嬉しく感じる。
妻に話すと「変なの。」と一蹴されるが、駄々をこねる我が子を見て心の中で「いいぞ!もっとやれ!」と声援を送っている。

これは単に子煩悩なだけ(自画自賛)かと思っていたが、実は好き勝手に振舞うことができる子どもが羨ましいと感じているのだと気付いた。
物心がつく前の自分も我が子と同じ振る舞いをしていたはずが、いつの頃からか「正解」はなんだという思いを優先して、たまには自分を犠牲にする行動もあった。それが自分の中での「正解」だからと後悔したことはなかったが、30歳を過ぎてから幼少期の行動を振り返って悶々とすることが増えたような気がする。


そんな中でこのタイトルの言葉に出会った。
本当に悔やまれるのは、誰から聞いた言葉なのかを忘れてしまったということ(笑)
しかし、私の心に深く突き刺さる言葉となったのは間違いない。

「この選択はこれから正解にしていく」

補足をすると、人は瞬間的に無数の選択肢から1つの道を選択しているおり、これを「バタフライエフェクト」なんて呼んだりする。
この時に無数の選択肢の中から「正解」を必死に選ぶのではなく、その選択肢を選んだあとの自らの行動で「正解」にしていくということだ。
こんな考え方があったのかと目から鱗で、自分の中で心がふっと軽くなったような感覚がした。
今後は自分の選択に自信を持ち、正解にしていくんだという気合をもって生活ができそうだ。

以上、うもうでした。


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