生きることは語ること 語ることは繋ぐこと
「世界では7,139種の言語が使用され、約40%の言語が絶滅の危機に瀕している。」
意志疎通、文化、社会生活などにおいて、言語はなくてはならないものだ。人間が成長する上でも言葉は脳細胞の発達と密接な関りがある。人類と言語は運命共同体。でも、使う人間がいなくなれば、その言葉は絶滅してしまう。
今、手話を勉強している。手話の歴史を知ることは、言語絶滅の危機をリアルに感じることでもあった。
2006年「手話は言語である」と定義した「障害者権利条約」が国連総会で採択され、手話は言語として国際的に認知された。日本でも2011年法律第九〇号として公布された改正「障害者基本法」は、言語(手話を含む)と規定し、手話は法的に日本語と認められた。
そこに至るまで手話は苦難の歴史を辿ってきた。ろう者に対する偏見や差別、口話を奨励する世界的な流れもあり、1933年には日本のろう学校でも手話の使用が禁止された。でも、どれだけ禁止されても、後輩が先輩から学んだり、コミュニティの中で手話は静かに生き続けてきた。今、手話を学ぶことが出来るのは、手話と言う言語を守ってきた人たちがいるからだ。
手話は手の形、位置、動きの大小、スピード、表情も活用し言葉を表現する。音声語が、口で発音し耳で聞く”聴覚言語”なら、手話は目で見る”視覚言語”だ。その為か「ありがとう」「ごめんね」、普段当たり前に使っている日本語が、手話だととても尊く感じられる。手の動きや表情によってありふれた言葉が心の込もった贈り物のように感じられるのだ。想いを伝えることは、自分の心を言葉に置き換え相手の心に響かせること。手話の学びを通し、言語を学ぶことの意味や言葉を発することの重み、心を込めることの大切さを感じている。
ただ、こんなに美しい言語なのに手話で語る人が少ないのが現状だ。手話はろう者だけの言語と言う認識や世界共通でないことも理由かもしれない。2025年、日本で初めてデフリンピック(ろう者のオリンピック)が開催される。手話を未来に繋げてゆくためにも沢山の人が手話を学ぶきっかけになればと思う。
聴こえない人、聴こえにくい人、聴こえる人との境界が無くなるように。
誰もが自由に言語を語り、楽しくコミュニケーションをとれる優しい世界であるように。まだ手話で片言しか話すことができないけれど、未来に向かって先行する想いを追い続けていきたい。