
ボルフ『ニコラス・ルーマン入門』(1)
社会の理論
社会学はもともと、社会全体を語る一つの理論を探し求める学問であった。つまり、社会というものを体系的に語ろうとしていたのだ。
しかし、時代が経つにつれ、理論的に社会を論じるのではなく、統計やデータを使い、そこで示唆されたことを語ることが社会学の役割になってしまった。それは、哲学から科学への移行ともいえるだろう。
社会全体を統一的に語る理論の不在。この問題に対抗しようとしたのが、ニコラス・ルーマンであった。彼は、普遍的な社会学理論を再活性化しようとしたのである。
その時ルーマンが行ったのは、過去の社会学者の理論の再解釈ではなかった。彼は、社会学以外の成果を多く取り入れ、それらの理論を社会学に適応しようとしたのだ。
そんなルーマンの軸となる考え方は、主体概念の拒絶である。彼は、主体と客体という基本的区別を捨て、システムと環境の区別を採用する。そして、人間は社会の一部ではなく、社会の環境の方に属するとしたのである。
またルーマンは、コミュニケーション自体がコミュニケーションするという。これは一見すると意味不明である。ここで彼が言おうとしているのは、人間という主体がまずいてコミュニケーションが生まれるのではなく、コミュニケーションというものが人間よりも先にあり、人間はそのコミュニケーションを利用し、他者とコミュニケーションするということである。
つまり、結果としてコミュニケーションがコミュニケーションするのだ。
社会学的啓蒙
ルーマンの社会に対する視点として常にあったものは現代社会が多くの自律的な機能システムに分化しているというものであった。
その機能システムの外側には環境という巨大な複雑性があり、各社会システムはそれぞれのやり方で複雑性を縮減するとしたのである。
つまり、システムとは環境の複雑性を縮減するものである。
経済というシステムでは複雑な環境を、支払い、利益率、資本等々の問題に置き換えて、複雑性を縮減する。
また同様に科学というシステムでは、環境を自然法則の問題に落とし込み、それにより複雑性を縮減する。
具体例で言えば、人間関係という複雑な関係を経済システムは、生産者と消費者、資本家と労働者という形に変え、問題を単純化する。
また科学システムでは、人が食べるといった行為を生命対する敬意などを無視して、化学反応という問題に置き換える。
このような複雑性の縮減により、私たちは有意義な生活を営むことができるのである。
ルーマンはこれまでの「啓蒙」はただの知識の蓄積とし、いたずらに知識を増やして複雑性を増加させるものだとした。
そして本当の「啓蒙」とは、複雑性の縮減にこそあると主張したのである。
そのために、ルーマンは社会システムが複雑性を把捉し、それを縮減する動きについて理解することが大事であると主張する。
それは、偶発性によって特徴づけられる。
偶発性とは、常に別様に理解し得る可能性があるということである。
複雑性の縮減には様々な方法がある。今の社会で顕在化している縮減の方法以外にも、潜在的な別のシステムを使い縮減することもできる。
ルーマンにおける社会的啓蒙とは、結局のところ、この潜在的選択肢を顕在化させることなのである。
ハーバーマスとの論争
ルーマンの名前が広く知れ渡るようになったのは、フランクフルト学派のハーバーマスとの論争があったからであった。
ハーバーマスは社会に対する批判から社会の変革を目指していたわけだが、ルーマンの社会理論では社会変革どころが、既存の社会のイデオロギーを擁護していることになると指摘したのである。
この指摘に対してルーマンも反論する。
彼はハーバーマスの批判理論が、人が抑圧的な社会構造から解放されるべものとすることを前提にしていると批判する。つまり主体の存在を前提にし、その主体の解放を説く前時代的な思考法だと指摘したのだ。
この二人の違いが生じたのは、ハーバーマスが理性には支配に対抗する進歩的な機能があるとことを信じていたのに対して、ルーマンはその信念を共有しなかったことにある。
実際、確かにルーマンは自分の理論によって社会が変革すること、または政治的運動が高まることを期待してはいなかった。
彼の探求はあくまでも、社会と主体的に関わるというよりも、社会を客観的に観察し、理論的に捉えることにあった。
そのためルーマンは、一次観察から二次観察への転換を提言する。
ルーマンによれば、ハーバーマスのような批判理論は、世界や社会が何であるか、つまり存在論的次元での観察だとする。ここには「真の」社会があるという考えが根底にある。これが一次観察である。
これにルーマンは与しない。彼が主張するのは、他の観察者がどのように観察するのかを観察することであった。要は、ある特定の人がどのように社会を見ているのかを分析しようとしたのである。
つまり、ルーマンは認識論的に社会を捉えようとしていたのだ。これが二次観察である。
一次観察から二次観察への転換とは、存在論的次元から認識論的次元への転換を意味しているのである。
以上のようなハーバーマスとの論争は、ルーマンのシステム理論があの偉大なハーバーマスすら時間を費やして批判するに値する理論であるということの証拠になり、ルーマンの知名度が上がるきっかけになったのである。
ルーマンの著作-段階と評価-
ルーマンは膨大な数の著作を残しており、それをすべて追うのは至難の業である。とはいえ、ルーマンの著作は一般に二つの段階に分けられるとされる。
第一段階は機能主義と結びついている時期であり、第二段階はオートポイエーシスと結びついてる時期である。この二つの段階の間にあるのが『社会システム理論』である。
ルーマン自身、この二つの段階に思想の変化を分けることを肯定的に受け入れているが、実はもう一つの段階がある。ゼマンティクの探求の段階である。
ゼマンティクとは、社会が自己を記述するために用いる語彙のことであり、つまり自己言及性の問題である。
ルーマンは第三段階の時期において、第一義的な分化様式によって定義される社会構造が、どのように特定のゼマンティクをもっともなものとして適用させるのかということを研究した。
こういった大枠がありつつも、ルーマンは政治、法、愛、教育、芸術、科学、宗教、組織等々の分析も行った。
それらの分析は、彼のシステム理論が社会学においてだけではなく、社会学以外の分野でも受容されることに貢献することになった。