沢庵 宗彭
沢庵(1573〜1645)は臨済宗の禅僧である。
彼は同時、日本に入ってきた朱子学や陽明学に対して、いかに仏教が優れているかを論じた。
朱子学や陽明学の根本にあるのは儒教であるが、儒教では心が肉体の主人されている。
それに対して沢庵は、心を主として何事かをなすのは「初心」の段階であり、仏教の至極である「無心無作」の一切の作為性を超えた段階は、儒教の上に立つものだと主張した。
また儒教にとって重要な概念である「敬」にも批判を与えた。
朱子学では、「心」が緊張と熱量を湛えながら静かに止まっている次元を未発と言い、「心」の発現・躍動の次元を已発と言う。この未発と已発の状態において一貫して「心」をあるべき状態に保つのが「敬」の工夫であるとした。
この「敬」に対しても沢庵は、我の心を利用した平静さは修業稽古の法であり、心を無くした先にある自由なる段階こそ真の極致であるとした。
人が踊るとき、心によって体を動かしているようではまだ美しくない。心がなくなり、無我の境地に至るときに本当の美しさが発揮されるのである。
このように沢庵は、禅僧の立場から儒教の根本概念を批判したのである。
〈参考文献〉
田尻祐一朗『江戸の思想史』中公新書、2011年