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#7 小さい子どもが3人いながら複雑骨折してしまった私の3ヶ月入院日記/3日目


救急車で運ばれてから、一日目ニ日目とニ日連続で手術をしてから、三日目の朝を迎えた。

一日目の夜は次の日に手術を控えていることからほとんど寝られなかったのだから、今日の夜こそはよく眠れるだろう思っていた二日目の夜もまた、ほとんど寝ることができなかった。
子ども達と過ごす毎日では、いつでも布団に入ると秒で寝ていた私なのに。

不安感からか全身麻酔の影響か、夜に急にすごく動悸がして一気に動揺してしまった。
急いでナースコールを押して、もう死ぬんじゃないかと取り乱してしまったが、看護師さんに大丈夫だと説明されて、結局、不正脈は無いということでそのまま様子見となった。
そう言えば、妊娠中もお腹に血流が集中したためか、凄く動悸がしてしんどかったことが何度もあったなぁと思い出す。
今回も足を治すために急激に血流が足に集中した結果、動悸がするのだろうとそうイメージしながら、人間の体って凄いなぁと変に感心してみたり。
自分の体の治癒力を信じようと念じたりしながら過ごしていた。
とにかく良いイメージを持って過ごせるようにと必死だった。

体を起こすと動悸がしたりしんどくて気分が悪くなってしまう状態だったので、しょうがなく横になっていたのだが、体はもうこれ以上横になりたくないというくらいに悲鳴をあげていた。
腰や背中の辺りが横になり過ぎて痛くて仕方がないのだ。
どんなにクッションで工夫しても体勢をこまめに変えても、とにかくどうやったとしても横になっている限り腰や背中が痛くてしょうがない。
体が確実に疲れて疲弊しているけれど、とてもグッスリ寝られるような状態でなかった。

この2日間はナースステーションの横のオペ後に患者が入る観察室で過ごしていたのだが、この窓もなくて、特に気を紛らわすものが何もないこの部屋で過ごした丸2日間が今思い出しても本当に本当に辛い2日間だった…。
今思い出しながらこうやって記録するのも辛いくらい。
自分の体は痛くて、足は自分の足とは思えないほど自由に動けない状態で、体力も気力も失いかけていて。
暇だったら携帯見たらいいんじゃない?
本あったんだったら読んだらいいんじゃない?
と思うかもしれないけれど、その元気も無いくらい弱っていたその時の私。
人間弱りきってしまうと、いくら時間があっても何も出来なくなるのだな…と。
YouTubeを携帯を持って見る元気もなくて、そんなテンションでもなくて。
ラジオを聴いていてもなんだか気分がしんどくなってくるし、本を読む気にもなれなくて。
そうなってくると、ただただ時間が過ぎていくのを待つだけの時間のどれだけ長いことか…。
夜のどれだけ長いことか…。
看護師さんは精一杯やって下さっていたけれど、忙し過ぎて毎回用事がある度に一瞬しか話せない。
誰か話し相手になる人がずっと側にいてくれたら、どれだけ救われたことかと思ったりしていた。

何度か短時間のウトウトを繰り返して、やっと朝を迎えた。
朝ご飯は気分が悪くて食欲が湧かなかったけれど、食べなければ体力が落ちて足が治らないと思い、気力だけでなんとか半分くらい食べた。
ずっと軽い車酔いが続いている感覚だった。
そして、その日の午前中に、個室に移った。

窓がある!
個室に移って、最初にそのことにどれだけの安堵感を覚えたか分からない。
病棟が上の方の階だったので、ベッドに横になるとちょうど窓から青空が見えた。
曇ってこんなに動いて面白いんだなぁと午前中はぼーっと空や雲を眺めて過ごしていた。
景色がどれだけの気晴らしになったことか。
自然って変化があって、どれだけ素晴らしいものか。
それまでの2日間、無機質な観察室に閉じこもっていたので、本当に心から感動していた。

本来は大部屋希望だったのだが、その時に病棟でインフルエンザが流行していたため、特別対応で個室に入ることになった。
今思えば、この一番自分の体がしんどくて動けない時に個室に入れたことが、私にとってどれだけラッキーなことだったか。
いつでも家族と自由に声を出して電話ができたから。
一日がとにかく長い入院中の時間で、家族と話すという日常を取り戻したかのような時間にどれだけ救われたことだろうか。
しかも、ラッキーなことに、この時はちょうど子ども達が冬休みで旦那さんも年末年始の休みに入っていたので、いつでも電話ができた。
ただ、個室に移動した当日はまだ体調がしんどくてあまり電話をする元気も無かったけれど。

お昼ご飯は完食できなかったものの、全体的にバランスよく食べられた。
体調が少しずつだが改善しているようだった。
ただ、炎症の影響だろう。
熱が37度台後半あり、やはり食欲も湧きにくいのだろうなと感じた。
微熱があって、ずっと体が戦っている。
毎日ちょっとずつ絶対良くなるんだから、焦らずにゆっくり治していこう。
焦らない焦らない。
急いでもいいことないんだから。
そう自分に何度も言い聞かせていた。

晩ご飯はほとんど食べられた。
今まで味がしなかったのに、味も美味しく感じられて、食べようと思う気力が出てきた。
食後にすぐに便も出て、本当にスッキリ。
(ちなみにこの時点ではトイレに行くこともベッドから動くことも出来なかったので、便もベッド上で差し込み式のトイレで行っていた。
おしっこは管を入れていた。)
排便は本当に人間らしさの根源だと思う。
排便が整うと素直に嬉しくて気持ち良くて、本当に生きる気力が湧いてくる感覚があった。

また夜がやって来る。あの長い夜が。
段々夜が来るのが怖くなっていた。
この日の夜は足の張りと戦うことになった。
血流の関係か?水分の関係か?炎症の関係か?足がパンパンに内側から風船で押しているように圧がかかっているような状態だった。
もう内側からの圧力で、皮膚が破けるんじゃないか?と思うくらいに痛みすら感じるくらいに張っているのだ。
もう皮膚がそろそろ破れ始めるんじゃないか?と思って心配になって、看護師さんが来る度に足大丈夫ですか?と聞くのだが、大丈夫と。
自分でチラッと足を見ても、確かに痛みからイメージする腫れとは違い、それほどでも無い感じだ。
この見た目だけど、足の中ではこれだけ痛みもあるし、戦っているんだなと驚き。
痛みって人に伝えるのは本当に難しいし、見た目からは伝わりにくいのだなと思う。
出産の産後におっぱいがカンカンに張って痛くてしょうがなくて皮膚が裂けそうな感覚、味わった方は分かると思うが、それに凄く近い感じだった。
見た目と中身の痛さは別物だなと感じたので、それからは看護師さんに痛さを比喩に例えて伝えるようにしていた。
この時は「風船が中から痛いくらいに押して膨らんでいて、皮膚が裂けそうなくらい」と。

夜に、自分の足なんだけれども自分の足ではないくらいに、じくじくじくじく痛む。
抗生剤の点滴をしているから、おそらくばい菌と戦っているのだろうけど、じくじくじくじく戦っている場所が分かるかのようにじくじく痛む。

入院してから初めて、2時間ぐっすり眠れた。それでも、たった2時間。
起きたらとにかく背中から腰が痛い。
ここまで3日間ほぼ横になって過ごしているから、痛くて痛くて。
差し入れで届けてもらったマッサージする木の道具で、ひたすら腰から背中をほぐす。
でも、その後はほとんど寝れられず、足の張りがじくじく痛むし、夜の時間がとにかく長く感じられて気分が滅入ってきてしまう。



現在は退院して、リハビリしながら、日常生活を目指して筋力アップに日々取り組んでいます。
あと一年はかかると言われていますが、趣味だった子ども達との山登りも再開したい!
この日記は、実際に3ヶ月の入院期間中に毎日その日に私が記していた日記を退院後に少し加筆して、まとめたものです。

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