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お喋りと効率

私は小さい頃、外でお話する子ではなかった。
なにも話しなくても、お人形を動かすだけで、相手の子のお人形とは通じあったし
どこの誰かと一緒にひとつの砂山をつくるだけで、ずっと遊べた。

けれども喋らない子は、子供の社会なりに風当たりも厳しく、8歳になる頃には求められることを喋ったほうが優位に立てることを察した。

笑いを誘うと、敵はいない。
なんだ、受け入れられるのは簡単なことなんだと感じた。

空気を察することができたので、結果、お喋りな女の子になった。そうするとエネルギー効率がよかったのだ。

時代の節目を感じている。

宇宙服を着ているかのように繋がれない社会は、もうしばらくで終わるだろう。

私はアナログ寄りなので実感はできないが、世間よりもネットの社会のほうが多様多彩であることは想像できる。

ネットを使うと効率的どころか、自分そのままに生きれるだろう。
そして、それはじわじわと緩やかに現実社会へも浸透してゆく。

社会で揉まれてナンボとか
人は人でしか磨かれないとか
苦労を人生の糧として成長する時代はもう終わりで、苦労せずとも人間は磨かれる…というより、もう磨く必要もなくなるだろう。

デコボコそのままで認められる社会へ移行しつつあると思う。

「個性を伸ばす」というような言葉は、没個性教育の時代だからこそ使われた言葉で、だれもが違っていて当然なので「個性」は死語になると思う。

私は大阪の『海の森』というサロンにピプノセラピーを受けに行ったとき、セラピストに「カンガルーに混じっているようですが、コアラとバレバレですよ」と言われて心底ビックリした。
ドアから入ったとたん私の姿をみて「おや?なにしに来たのかな?」と感じられたらしい。

私も変わった人を見ると「あ、そっち系の人やね」と見分けることがあるが、自分が見分けられる側の人だったとは本当に衝撃をうけた。

身につけたコミュニケーション能力で効率的に生きている自分はマジョリティーで社会的な人間だと思っていたのだ。


その日、私は喋らずとも心を通わせていた頃の小さい自分と仲直りした。

これからはお喋りも効率もいらなくなる。だれも地上で宇宙服は必要なくなる。

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