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感情の得意、不得意

外向きの感情が苦手だ。

怒りや楽しさである。
怒りを出したり、楽しさを表現することが難しいと感じている。

逆に内向きの感情はいつも私の身近にある。

悲しみや喜びだ。

なんの努力もなく、勝手に内側に沸いてくる。
馴染み、親しみのあるものだ。

苦手なことは、べつにしなくてもいい。
そう思ってはいるけども

怒りを抑え込んでいるのは良くないし
出す練習をしようかしら。

どうやったら怒りや楽しさを表現できますか?ときいたところ

身体から先に出したらいいよ。と答えが返ってきた。

身体からさきに
悔しい、怒!!ムカ~と表現するのか。

わああい!楽しいな~!と表現するのか。
なるほどなるほど。

やってみようという気がする。

そう思ったのが水曜日。

叶うのは早くて
金曜日に突然
目の前の人から怒りをぶつけられて

ええええ~!なんなん急に

私は怒りが大の苦手なので
怒りをぶつけられて、私もホントは怒ってたんだけど

怒りを見たくも感じたくもないから
イチミリも表現せず、やっぱり抑え込んでしまった。

怒りの表現よりも

ぶつけられた怒りは私への否定ではない、傷つかなくていい、と

すぐに沸いてくる『悲しみ』のフォローで忙しいんだ。

しかしそのおかげで、いまも心の壺に怒りを溜めてしまっている…

この壺、どうしよう
とちょっと困っているところだ。

知らんぷりして見ないでいると、私の容量を使ってしまう。

軽くいたいのに、重りになってしまう。
重いのきらい。

捨てれるならそのまま捨てたいけど、たぶん、蓋を開けて発散するべきなんだろうなあ。(紙に書くとか)

こんな小っぽけなものに時間と労力をかけるのも嫌だけど、たぶん、この嫌さは本当は、蓋を開けるのが億劫だってことなんだろう。

いつも気分良いことだけしていたいから。

苦手に向き合うのは億劫だ。

私が望んで引き起こしたことだし
(ちょうどいいチャレンジとして)
宿題になったようなもんだ。


課題を突きつけられたとき
『怒り』が目の前にきたときに

身体を使ってでもその場で表現するには
まだまだ
私には、スキルが足らな過ぎた。(チーン)

怒りを同じエネルギーでもって受け止めるとか(エネルギーは同等の大きさのエネルギーで迎えると消滅する)

そんなハイレベルなことは私には出来なかったと実感する。

けど、また次には(つぎは楽しい表現にしてもらいたい)

ボン!ときたときにはこっちもバッ!と外へを表現したいなー。できたらいいなーとおもう。

反射神経を求められる体感ゲームでボタンを押すみたいなもんだ。
(私は反射ゲームは大の苦手だ)

苦手なんだから、しなくてもいいんだよ
という気持ちもあるけど

出来るようになったら、更に楽しいんでしょ
という気持ちもあるんだ。

今日も1日が始まった。

私は1日が始まると楽しみというよりも不安なタイプなんだけど、いいお天気というだけで、めっちゃ助けられる。

青空がきもちよすぎる。

身の回りの何もかもにありがとうと伝える。


小さなことに喜ぶのは大の得意だ。

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