
ときどきよう寝る
朝おきてストーブの前でストレッチしていたら、くうくうと床でねむってしまい
体が冷えて眼がさめてもまだ眠いので、布団に入ったら、昼すぎの14時まで起きなかった。
昨夜はふつうに24時過ぎに寝たので、思いのほか疲れていたんだなあと自覚した。
ここ幾日か仕事が忙しく、ランニングしない朝が3日更新された。
仕事での移動距離、自転車の走行距離も長くて身体的にも疲れていたのだろうけれど、精神的疲れが自覚なく蓄積されていたのかと思った。
仕事で緊張や恐れが多かった。
緊張している〜!
とか
怖い〜!
とかを自覚しては
その緊張や恐怖に対峙して、外す
ということをしていた。
振り返ってみると、ひとつの恐怖に対して向き合う時間が長かったので、精神力を消費していたのだろう。
「現実にはなにもない」のだけど、わたしの想像力には恐怖の顛末が繰り広げられる。
「やっぱり」ちゃんとうまくいくのだけれど、最悪の事態は脳内で繰り広げられ、私はまるでもうその最悪の事態がやってきたかのように(先に)ダメージを受ける。
すべては脳内で。
思考の力は偉大だ。
「もしも」をリアルに感じさせて、行動を抑制させるんだ。
ものすごい恐怖が浮かぶけれど、それは幻と知っている。
この思考の抑止力が、私の世界を狭めることを知っている。
恐怖を見つけては「こわいよ~」を味わって
外して
自分の思うことをする。
思っていることを伝える。
自分の感覚に妥協しない。
これは「仕事」だけれど、私はお金で動いてるんじゃなくて
私の現実を、わたしの気持ちを生きているんだ。
役目でも責任感でもなくて
「この程度のことをしたら役目や責任は果たした」とかじゃなくて
「わたし」がこう
と思うことをする。
自分の言動が、行動が、自分の世界をつくっている。
人がこう思うのではないか、を優先すると、私の世界の色が薄くなる。
それより自分の生きている優先順位がある。
優先順位を行こうとすると、出るわ出るわ恐怖が思考に湧いてくる。
もともと怖がりで、傷つくのが大嫌いだ。
未来をみると、最悪の事態のほうを感じてしまう性格なのかもしれない。
だから、未来をみないように「今、いま!」と呪文を唱える。
仕事は現実では、大変うまくいく毎日が過ぎている。
けれども私のなかでは
脳内ばかりか体の中全部で、嵐が吹き荒れ地震がおきていることもある。
案外頑張ってたんだな
それで昼の2時まで眠ってたのか。
ストレッチを再びやって、ゆっくりと休日を過ごすことにする。