混沌とした世界を受け入れていきることこそ自立
国境なき記者団という組織が、報道の自由度について毎年国別ランキングを発表している。
今年の日本は66位。もちろん上から数えて。
たぶん、日本国民が考えているより相当低い。
さらに3年前は72位だった。
日本は、台湾や韓国や南アフリカ、ボツワナ、ボスニアヘルツェゴビナよりも報道の自由がない。
日本のメディアは透明性とは程遠く、相当の規制がかかっている。
私の生家は「清貧」と「自分のことより人様に尽くす」ということを私たち子供に教えこんだ。
贅沢とともに教育を否定していたので、義務教育以外は必要ない、という考えを持つ家だった。
どうして教育が必要無いのかというと、お金と同様に知識は人を傲慢にする、教育を受けたら素直さを失い、人を見下すことになるから駄目だ、という強い信念からだ。
「仕事は下足番でいい。アホでおらなあかん」(仕事に欲をもつな、誰からも蔑まれるくらいでよい)と子供に言う親だった。
高校生のときに、わたし大学へ進学できる推薦をもらえるんやって、と冗談めかして言ってみると、滅多に怒る事のない温厚な母は「行くなら勘当や!」といい放ち背を向けた。
私は母親への愛慕が強く、見捨てられたら終わりのように思っていた。
なんのやる気も意欲もない学生だったので進学はもちろん、就職活動もせず、ブラブラとフリーターになった。
私は日本の情報抑制と
自分の育った家の教育否定と、なんだか似たものを感じている。
よっぽどの危機感や、なにかがおかしいという直感を感じないと、打開できないのではないか。
国を、親を、見捨てるくらいの気持ちで外に飛び出すことが必要だったり
国を、親を疑うことで、やっと情報にありつける。
もちろん世の中の情報は玉石混淆だが(良いもの悪いもの混在している)それらをむさぼらないと、自分に必要な知恵をつけることは出来ない。
現代は教育も問題だらけで、情報も問題だらけで…しかし、それを断っていては、意欲もやる気も失われる。
誰にも怒られないように、良い子でただ、まっとうに暮らすことに、親や国は満足するかもしれない。
自分も、こんなもんだ、仕方ないと思うほうが楽かもしれない、けれども
「わたしたちは明日へ向かって飛ぶ鳥だ!」という宮崎駿原作のナウシカのセリフが大好きだ。
親を、国を、時代をこえて混沌とした中に生きてこそ、進める気がする。
これは、日本の情報が不透明なことを多くの人が知らずにメディアを盲信しているのではないかという危惧を自分の話をまじえながら書きました。私の親に対する心的関係性は、整理できて問題ありませんので(笑)
写真上…仙台の途中下車
写真中…娘のネコ
街のネコ
写真下…北海道からの帰空路
行間にもっと空間を入れたいのに、操作がうまく反映されず、文章が詰まってしまうために、どうしても行を空けたい場所には写真を入れました!どうかな
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