サボり癖のあるケアマネの考えること
どー考えても、これからは介護やな
とおもう。
コロナでドンピシャやな
と関西弁で頷く。
アジアタイムズかなんか、忘れたけれど、どこかの記事で「日本はクラスに居る、ジャンクフードばっかり食べているのに痩せている女の子のようだ。関わりたくないし無視するのがいい」みたいなことを誰だか外人さんが言っていたらしい。
これには自嘲した。
なるほど、そんなに日本の政治(やり方.国民性)は気味悪がられてるんだな、と。
もうひとつ
日本の食料自給を担っている一次産業は、国民の2%の人口の就労しかない、というのも聞いたことがある。(2%ってことないやろ!と私は思っているけど)
つまり、2%の人が、私たちを食べさせてくれているのである。2%は大げさでも、20%の人が働けば、日本人は食っていけるとしよう。
となれば、あとの仕事って
余暇を楽しむというか贅沢を求めるというか
そう、日本国民にお金を回すためにある仕事なのだ。
ただ、お金をまんべんなく配給するために、天下り財団があり、大きな工場があり、同じ店が並び、会議が充満しているとしたら
人気の仕事や、誰もが出来るわけではない仕事にはちょっと色をつけて、多寡は生じるものの
インフラ整備だって交通にせよ公務員にせよ、その内容を実質必要な経費を引けば、あとは『回しているお金』に過ぎない。
これが、豊かさの正体だ。
で、コロナさんでそれがぐらついている。
テーマパークいる?タピオカいる?病院いる?
しかも、日本人は海外からの視線に頓着しない。外を見ない。
「ほっとこうぜ」と無視されていても気づかないし、憧れの白人の力が激弱りしていても、中国が日本より賢く聡明になっていても、アフリカがどんどん豊かになっていても、気がつかない。
国民性がオタク気質なのだ。
もう、テレビも冷蔵庫もリニアモーターカーも原子力発電も世界には必要とされない。
目に見えて、この国の経済は発展しない。
美容もグルメも観光も先行きは見えない。
明らかなことは、あと30年老人の割合は増え続けるということだ。
この神道と仏教と儒教の混ざった国では、高齢者がどれだけ増えようとも尊厳死のブームも起きないだろう。
介護は、人を見つめる仕事だ。中庸を必要として人間力が磨かれる。バランス感覚が養われる。
第一次産業と同じく、自然を相手にする仕事だ。(人間の肉体は自然のものである)
誰にでもできるが、思い通りにいかない、という自然への対峙と変わらない。
それが老人介護だ。
都市は『思い通りにできる』という集大成である(空調にしても、交通にしても、人気にしても意図的に作られている)
日本は日本人は、一歩先に行くのだ。人類が追い求めた『思い通り』のその先へ。
急激な高齢化と、コロナが後押しとなっている。
介護を公共事業化して、多くの担い手を呼び込み、先達のお世話をさせよう。年寄りを見送って死を身近に感じよう。人間力を磨いて、そして次世代の教育を変えよう。生き方を見直そう。
施設だろうが病院だろうが、なんのかんのしたって、日本人はどーせ年寄りを見棄てて置けない国民性なのだから、20%が私たちを食べさせてくれるのだから、日本経済は世界から取り残されていくのだから、もうあきらめて、自分たちは自分たちの半径10メートルを幸せにしよう。
財団や会議や工場を縮小して、増え続ける老人をまっとうに看る(老人の贅沢は必要ないし老人の資産力も必要ない)ことへ、経済を転換して、とことん世界のガラパゴス化したらいい。
資本主義を追随する泥沼から抜けたらいい。
平成の30年間を混迷したように、これから30年後には、我が国の高齢者の爆増がピークを終えて、新たな価値観が始まっているだろう。
そんなふうに夢想している私は、介護業界17年目のケアマネ(サボり癖あり)です。
介護業界の待遇は見直されてきていますぜ。
一歩、どうですか(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?