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繰り返すループを肯定して

8月に入り朝から太陽の照りつける日差しが強くて外はギラギラと明るいけれど、家の中は北西からの涼しい風が抜けて、絨毯にゴロゴロしている身には、明るさも蝉の声もとても気持ちがいい。

私の住む団地の北と南はアスファルトではなくて土から生えた木が繁っていることと、北側と南側の5つの大きな開口部のおかげで、この小さな部屋の空気はサーキュレーターのようにかき混ぜられるために、クーラーの出番はまだ来ておらず、エアコンはカバーで覆われたままだ。

私は朝に布団から起きても、リビングの絨毯の上でゴロゴロしていることが多い。

一人暮らしになってから、ゴロゴロ時間は一気に膨らんだ。

それは後ろめたい行為でもあるので、ゴロゴロしつつ運動することが常なのだが、昨日からお腹に鈍痛がして、今日は運動の気配なく、ただただゴロゴロしている。
ゴロゴロしている自分に、永劫回帰という文字がうかぶ。

私のこのゴロゴロ具合は、小学校の頃や中学校のころと変わらないなあと思ったからだ。

今しているように、朝から学校へ行くよりもゴロゴロしてあれこれと思う時間が多かった。

ゴロゴロしながら外を眺めたり、飽きてマンガを読み出したり、眠ったりする事が多かった。それを「無責任」「怠惰」と結びつけて自分は箸にも棒にもかからない劣った人間だと評価していた。

私は離婚してまもなく潰瘍性大腸炎という病気になった。
ストレスがお腹にくるタイプらしい。
どんな食べ物でもお腹を壊したことはないため、私の腸は丈夫だと思っていたが違っていた。

男性はストレスで下痢になりやすく
女性は便秘になりやすい。

私は物心ついた時から便秘性で、幼児期からその自覚はしっかりあった。
潰瘍性大腸炎からグズグズになった体を戻すまでには何年間も費やした。

その中で、漢方医から『子供の頃から腸が成長できていない』と子供が腸を丈夫にするために飲む漢方薬を1年半ほど飲み続けたこともある。


腸の調子が悪いと体力がなくなり、動きに強制的抑制がかかる。

物分かりの悪い私は、からだの信号の意味を理解するまで数年を費やして痛い目をみているので、『脳はバカ 腸はかしこい』(藤田紘一郎)を座右の銘にしている。

昨日は久しぶりにお腹の警笛が鳴って、違和感と鈍痛により、すこし立ち止まることを余儀なくされた。

なんでしょうか…
どない間違えておりますか…
なんか、あらためんといけませんか…

思考は、超常の自然である『お体さま』というご神体へお伺いをたてる。

とはデフォルメした表現だけれども

実際は絨毯の上でゴロゴロしながら、意識を体の内部に向けてみる。

胃は腸と親子のように助け合っている。
胃が、すこし疲れているようだ。
胃は言う。忙しい。ゆっくり落ち着いてたべて欲しいと。

その奥へすすむ。
腸は寡黙だ。とても含みのある様子で複雑で解りづらい。けれどもじっと耳を傾けると腸からの示唆がとどいた。

なるほど、私は「やらねばならぬ」という焦りや落ち着かなさが増大していたようだ。

焦りや責任感が急ぐ心理となる。
自分でも分からないのだから、外部にはまず現れていない。毎日たいへん落ち着いて行動している…ように見えたけれど、食事の形態を思い出すと、なるほどなるほど!簡易な食事をささっと済ます日々が続いていた。
外食、パン食、そしてコーヒーが増えていた。カフェインで紛らわしていた。

仕事といわず、勉強といわず、遊びといわず、なにか成したいような、実のあることを求めているような、成長や前進や達成を掴めるような、そしていま、そうするべき時期だと思い込んで。にわかに焦っていた。

実は昨日、安価な飛行機のPeachをつかってシュミレーションすると、休みが1日あれば、9時の飛行機で北海道に行って21時には帰ってこれるな、などと勢いのあることも思い付いていた。

そこいらだ。

気持ちの前のめりさをお体さまは指摘してくれたのだ。

私は子供のころから自己の意識が強い反面、その自己を外に押し出すことが弱い。
自分自身を感じながらその曖昧さを恐れている。

自分を感じ取らなければいけない、と思っているその強制が、ものごとを複雑にしてしまう。

永劫回帰というのは
私たちは繰り返す。つねに同じことをずっと繰り返しているだけれども、しかしそれを選ぶのも選べるのも自分だ、ということだと解釈している。

私は繰り返している。
それを選んでいる。
でも101回目はどうなるか分からない。10001回目だってわからない。

また繰り返したけれど、気づいた今日はまた選べる。

まずは、ゆっくりと噛んで食べよう。

そう思いました。
ゴロゴロをおわります。

いってらっしゃい

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