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みんな大好きお金のはなし

日曜日に姉が来た。
まとまった預金が満期になったが面倒でそのまま放置している、と姉が言う。
まあ、人のお金の使い道に口を挟むなんて野暮だが、話のついでに現在私が採用しているお金の考え方をシェアした。

お金というのは、そのまま持っているだけではリスクが生じるものだ。つまり、お金の価値は目減りする。

貯金が、安心の担保になる意味は大きい。
けれども放置していたらお金の価値は下がる一方である。

私が小学生だったころ、街のケーキ屋さんでショートケーキを買うと180円で特別な嬉しい楽しい幸せを買えた。
いま、同様に美味しい嬉しい幸せ!と特別に思えるケーキを買おうとしたら、600円くらい必要だ。
私が贅沢になっただけではない。
物価も上がったのだ。物価があがりお金の価値は下がる。

20年30年前と今のお金の価値は違う。
幸せをお金で買うならば、その相関図は右肩上がりに値段が上がっている。流通や賃金を考えるとこの先、美味しい嬉しい特別な幸せをケーキで得ようとすれば1200円位は目の前だ。

老後のためにお金を残すと、頑張って貯めている今の価値では無くなっている可能性が高いよ、という話をした。

昭和の頃は、郵便局にお金をそのまま預けていれば何も考えなくともお金はドンと増えた。
なので、なんとなく「貯金最高」という昭和思想が抜けないけれど、お金は放置しておくとその価値は目減りするものだと思った方がいい。

手間と時間、頭をつかわないと、昔のような放っていてもお金がお金を生むマジカルな『お得』は享受できない。

かといって、投資などの勉強や計算の敷居は高くて、手を出しにくい。

日本はかつて、投資に親しんでいた長い歴史がある。
村で、都で、庶民がお金を出しあって応援する文化があった。お金を皆で出しあい、リターンを分けあう。そういう株式会社的な相互扶助でやりたいこと、成し遂げたいことを応援して、しっかり利益を享受していたのだ。

1600年頃には数学書が完成しており、複利計算を理解して庶民がお金の融資をしたり受けたりしていた。
また、田畑の測量から納税を行うためにも農村の民が高度な『和算』という数学を用いていた。日本ではヨーロッパよりも早くに数列を発明しており和算は世界が驚愕する高度な数学だった。
江戸時代には日本全国で数式ブームが起きて、遊算の旅が流行るほど庶民が数学問題を楽しんだ土壌がある。
恋の数式や借金の数式など面白おかしい数学本が出版されていたという。

私は数学は嫌いだ。
私はお金にも悪いイメージを持っていた。
お金を欲することは卑しいと思っていた。
お金を持つことが、ごうつくばりの悪どいイメージになってしまったのは、もしかしたら情報が広まっただけなのではないか。私たちは情報だけで、お金(数字)に弱くなってしまったのではないか。

日本のお金の価値観は、自分のために贅沢をするというものではなく、共同体のため、人のためにもお金を回して使う、という流れがあったようだ。
お金は巡り、自分や他人も豊かにするものだった。

お金は使いようだと思う。
本当になかなか出来ない難しいことだけれど、まずは自分から、そして親しいひとから「和」を心算できるような使い方をして、もっとお金を大好きになりたい。
人とのつながりのように、お金と繋がりを感謝したい。

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